3月12日に開催された富士スピードウェイの開業50周年イベント「FUJI WONDERLAND FES!」では、往年の名車が次々と登場してモータースポーツファンを楽しませてくれた。目玉のひとつは、1976年に開催された「F1世界選手権イン・ジャパン」に出走した、ロータス、マクラーレン、フェラーリなどのヴィンテージF1マシンだったが、もうひとつ見逃せなかったのが、富士スピードウェイの50年を彩ってきた国産レーシングマシンの数々だ。


ワークス対決を彩ったトヨタ7。これは1969年型の「トヨタニューセブン」と呼ばれるタイプで、5リッターV8エンジンを搭載。この日、ステアリングを握った大嶋和也が生まれる、実に19年前のマシンだ!

 まず、1960年代後半のスポーツカーレースで熾烈な戦いを繰り広げた、トヨタ7(セブン)とニッサンR381。日本グランプリ(当時の国内最高峰だったレース。現在のF1日本グランプリとは異なる)での勝利を目指して、日本の2大自動車メーカーが威信をかけて開発したモンスターマシンである。


トヨタ7のライバル、ニッサンR381は1968年型が登場。1968年の日本グランプリではトヨタ7を圧倒して優勝。左右に分かれたリアウイングが油圧式で動くさまから「怪鳥」と呼ばれたモンスターマシン

 イベント当日、富士を走行したトヨタ7とニッサンR381は参戦した年が1年違うため直接対決したマシン同士ではないが、当時と変わらない美しい状態で保存された2台が走るさまは、あたかも50年前にタイムスリップしたかのようだった。

 1970年代に入るとオイルショックや排ガス規制の影響で、メーカー主導による日本のモータースポーツは下火となってしまう。しかし、それでも全日本F2選手権などのフォーミュラカーレースや、富士スピードウェイ独自の規格として人気を誇った、富士グランド・チャンピオンシップ(GC=通称グラチャン)シリーズなどが熱心なファンを集め、国内のモータースポーツの火が絶やされることはなかった。


トヨタTS010(右・1992年)はルマン制覇を目指してつくられたグループCカー。ルマン制覇はならなかったが、世界スポーツカー選手権で優勝するなど技術力の高さを世界に示した

 やがて経営体力を回復した国産メーカーは、ルマン24時間レース制覇などを目指して、グループCカーの開発を始める。ルマンを含む世界耐久選手権(WEC)、世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)、スポーツカー世界選手権(SWC)のレースには、トヨタ、マツダがそれぞれのマシンを送り込んだ。日本国内でもグループCカーによる耐久選手権が開催され、こちらにはニッサンも参戦。そうした流れのなかで、1991年、マツダ787Bによる日本車初のルマン24時間優勝という快挙も達成された。


青白赤のニッサン・トリコロールが鮮やかなグループC時代のニッサンR92CP(1992年)。富士のストレートでは最高速400km/hオーバーのモンスターだ!

 この日の富士のイベントには、当時のグループCカーも姿を見せ、トヨタTS010、ニッサンR92CP、マツダ787Bが現役時代をしのばせる勇姿を見せてくれた。富士スピードウェイの歴史は、日本の自動車メーカーがレースを舞台に性能と技術力を競い合った歴史でもあるのだ。

 エコカー全盛の現在では、かつてのように各メーカーが”ワークス”としてガチンコでぶつかり合うことは難しいかもしれない。しかし、今もSUPER GTシリーズでは、トヨタ、ニッサン、ホンダがそれぞれマシンを用意して、系列のチームによる熱い戦いを繰り広げている。これからも国内のモータースポーツの歴史が刻まれていくように、ファンはぜひ、富士をはじめとするサーキットに足を運んでほしい。


レナウン・チャージカラーのマツダ787B(1991年)。ルマンを走った787Bとはバージョン違いのためヘッドライトがない。ステアリングを握るのは「ミスター・マツダ」の寺田陽次郎

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