ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ i [アイ]

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■市場シフトに備えた戦略商品

国内のコーヒー消費のシフトが進んでいる。コンビニ各チェーンは、カウンターのマシンでの淹れたてコーヒーの提供を拡大している。一方で缶コーヒー市場は、近年は縮小傾向にある。

家庭用のコーヒーマシン市場でも、かつての主流だったドリップ式マシンの販売は縮小し、シングルサーブタイプの販売が伸びている。シングルサーブタイプは、手軽に一杯ずつコーヒーを淹れることができ、エスプレッソやラテなどさまざまなタイプのコーヒーを楽しめることで人気を集めている。

伸びない市場で、企業が生き抜いていこうとすれば、既存商品をただ守っているだけでは危うい。市場のシフトをうまくとらえていかないと、成長はおろか、生き残りをかけた業界再編に追い込まれていくことになる。

ネスカフェ アンバサダーは、シフトの進むコーヒー市場における、ネスレ日本の新しい事業である。ネスカフェ アンバサダーとは、職場の世話役となる人が、ネスレの「お届け便」でのコーヒーの定期購入を条件に申し込みを行うと、確認手続きを経て、職場にコーヒーマシンが無料で届くというプログラムである。「アンバサダー」とは、この世話役のことを指し、コーヒーの補充購買、利用者からのコーヒー代徴収、そしてマシンの管理などの役割をになう。

「ネスカフェバリスタ」は、そこでの一番人気のマシンであり、ネスカフェ・ゴールドブレンドなどの専用カートリッジをセットして使う。最新のモデルのバリスタでは、エスプレッソ、カプチーノなど5種類のメニューのコーヒーを一杯ずつ、簡単なボタン操作で淹れることができる。

ネスレ日本は2000年代半ばごろに、このバリスタというマシンの開発をスタートしている。当時より日本では少子高齢化が進むなかで、人口減に向かうことが予想されていた。一方で世帯数は、増加が見込まれていたが、これは世帯規模の縮小によるもので、ひとり世帯、二人世帯の増加が続いていた。

■コーヒーの家庭外市場の開拓

世界的な総合食品企業であるネスレは、日本では、レギュラーソリュブルコーヒーなど、お湯に溶かして飲む粉のコーヒーを、瓶に詰めて販売する事業を柱としてきた。これは家庭に常備し、同じコーヒーを家族全員で飲むのに適した商品である。しかし、単身世帯や二人世帯が増加し、あるいは大家族でもあっても個食化が進む中では、好きなときに一杯ずつという飲み方に応えていく必要がある。

お湯を注ぐだけとはいっても、一杯のみのコーヒーのためにお湯を沸かすというのも面倒だ。加えて1996年のスターバックスの参入以降には、カフェブームの広がりなどもあり、日本でもエスプレッソやラテなど、コーヒーの飲み方の多様化が進んでいた。

コーヒー市場をとりまく変化をとらえるべく、ネスレ日本はスイスの本社に打診し、共同でバリスタの開発を進めた。バリスタは、「今回はエスプレッソ」「次はラテ」と、好みの飲み方を選択して、ボタンを押すだけで一杯ずつコーヒーを淹れることができるマシンである。加えて日本人の好みに合わせてコーヒーの温度は高めに設定してあり、マシンのサイズも日本の家庭に合わせて小型化している。

ネスレ日本は、バリスタの販売を2009年にスーパーなどで開始し、2011年には家電量販店へと販路を広げた。バリスタは、国内で販売台数が最も多い家庭用コーヒーマシンとなっていく。

しかしこの成果に、ネスレ日本は満足しなかった。それは、ネスレ日本がバリスタに、自社の次なる事業の柱となることを期待していたからである。順調に見えるバリスタの立ち上がりだったが、シフトに直面していたネスレ日本の巨大なコーヒー事業の全体を支えるには、さらに普及のペースをあげる必要があった。

では、さらなる成長機会をどこに求めるか。ネスレ日本は、コーヒーの家庭向け市場に強く、そこではNo1のシェアだった。しかし、家庭外市場については弱かった。コーヒーの家庭外での消費については、60%強が職場内で飲まれている。この市場を新たにバリスタで攻略できないか。

オフィスを中心とした家庭外市場に対するアプローチがはじまる。しかし、この販売は、不振に終わった。営業訪問をしても、返ってくるのは「コーヒーの自販機はすでにある」「マシンを買ってまで置こうとは思わない」といった声だったのである。

■被災地に無料で設置したら……

そんなある日、バリスタの製品担当だったネスレ日本の津田匡保氏が、東日本大震災の被災地を訪れた。被災地をめぐる移動図書館のボランティアとしての訪問だったが、そのなかで、仮設住宅に設けられた集会所に集う住人が少ない、という話を聞く。「それならば」と津田氏は、移動図書館用に持参していたバリスタのマシンを、コーヒーのカートリッジとともに集会所に置いていった。

後日、同じ場所を訪問した津田氏は、雰囲気が以前とは変わっていると感じた。集会所に置かれた無料でコーヒーが飲めるマシンは、住人たちがそこに足を運ぶきっかけをつくり、コーヒーを片手に、その使い方を相互に教え合ったりするなかから、コミュニケーションの輪が生まれていた。

「無料で提供することから、渦が広がる」――バリスタには、この触媒的なマシンとしての可能性があるのではないか。ネスレ日本は、そもそもバリスタについては、マシンの売上げよりも、その後のコーヒーの粉の売上げの方が収益への貢献が大きいと見込んでいた。それならオフィス向けにバリスタを無料で提供してみてはどうか。

テストマーケティングがはじまった。ネットでの50名の限定モニター募集、さらには札幌でのTV広告への反響などから手応えをつかみ、2012年秋にはネスカフェアンバサダーの全国展開がはじまる。

その後4年ほどが経った現在、登録者数は大きく伸び、28万名を超える。なお、登録者数はアンバサダーの数なので、実際の利用者数はさらに多くなる。ネスカフェアンバサダーのマシン1台あたりの利用者は平均で10人程度という。

「やってみなければ、わからないことも多かった」と、津田氏はいう。

無料でバリスタを職場に提供すれば、何が起こるかは、最初からわかっていたわけではない。まずはテストマーケティングとしてモニター募集を重ねたのは、そのためでもあった。どこの職場にも、アンバサダーを「やりたい」と手をあげてくれる発起人(仕切屋さん的な人)がいること、バリスタを置くと人が集まること、「無料でもらったからには……」と、互酬的な行動を生みやすいことなどは、実施の前に確証があったわけではなかったという。

■行動で生じる出会いや気づき

当初のこのプログラムは、「オフィス・アンバサダー」という名称だった。しかし、いざ始めてみると、病院、学校、さらには船舶など、いわゆるオフィス以外の職場からの申し込みが半数を占めた。「ネスカフェ アンバサダー」に名称を改めたのは、この広がりに対応できることに気づいたからだという。

アンバサダーがコーヒーを定期購入する「お届け便」の仕組みも、最初から用意されていたわけではない。当初はマシンを送っても、その後のコーヒーの購買が続かないケースが、少なくない頻度で生じた。

ネスレ日本は、アンバサダーたちへのヒヤリングを進め、必要なコーヒーカートリッジの購入量を簡単に見積もることができ、最安価格で購入でき、かつ配達の量と頻度の設定を選ぶことができるフレキシブルさを備えた宅配の仕組みの重要性に気づく。現在は「ラク楽お届け便」という名前の仕組みを用意し、ネスカフェアンバサダーへの申込者には定期購入をうながしている。

ネスカフェアンバサダーを運営していくには、アンバサダーを獲得する「リクルート」の取り組みも重要だが、加入後のアンバサダーの参加意欲を維持する「エンゲージメント」の取り組みがさらに重要となる。これも、アンバサダーたちを集めての感謝会などを開催したりするなかで、気づいていったことだという。現在ではネスレ日本は、アンバサダーを対象とした各種の交流イベントを各地で行うようになっている。

津田氏が「やってみなければわからない」と語っているように、ネスカフェ アンバサダーの事業は、行動を起こすことで生じる出会いや気づきを、プロセスのなかで取りいれながら出来上がっていっている。

だがそれは、運まかせの歩みではない。一方にはコーヒー市場のシフトをにらんだ戦略商品としてのバリスタがあり、オフィス市場を有望な成長のフロンティアと見定める戦略判断がある。想定外の反応や偶然の出会いを大切にする一方で、戦略計画の確かさがネスレ日本にはあったことを見逃さないようにしたい。

「実行し省察する」地上戦と、「分析し計画する」空中戦。いずれが欠けても、ネスカフェ アンバサダーの事業がこのように急成長することはなかっただろう。この2つの行動原則を高い水準で融合していくことが、マーケティングには欠かせないのだ。

(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木契=文)