(C)TBS

写真拡大

 「こぼれたのかな……内緒ね」。そう言う真紀(松たか子)と鏡越しに視線が交差した瞬間、目を見開いたのはすずめ(満島ひかり)だけではなかったはず。ドラマ『カルテット』は、全てがグレーのまま幕を閉じた。あぁ、なんて行間案件のドラマだったのだろう。

参考:『カルテット』幸福感あふれる最終回に絶賛の声!

■グレーのままでいい、という愛情

 疑惑の人となった真紀が、コンサートで演奏しようと選んだ楽曲は『死と乙女』だった。第9話で、真紀にすずめが話した「好きはこぼれる」という言葉をふまえるのなら、こぼれたのは「この曲が好き」という意味かもしれない。だが、義理父の「死」が近くにある真紀は、その選曲に意味があるのではないかと勘ぐられてしまうだろう。

 でも、すずめにとって真相はグレーのままでかまわなかった。白黒つけたがるときは、往々にして相手を糾弾したいときだ。味方でいる分には、白でも黒でもそばにいることには変わらない。内緒にしたい秘密があっても「信じてほしい」と言われたら信じる、それだけだ。

 だから、カルテットドーナツホールの4人は、おたがいの秘密を探らない。きっと気持ちと同様に、秘密はときどきこぼれてしまうものだ。仮に、その片鱗が見えたとしても「いいよ、いいよ」と隠すのを手伝うほど、圧倒的な味方。

 真紀の黒髪に混じった白髪(グレー)を見ただけで、離れていた間の苦労を察し、「連れて帰る」と抱きしめたすずめ。そんなふたりを家森(高橋一生)も包み込む。そして、微笑みとともに見つめる別府(松田龍平)。「本当は何があったんだ」「なんで連絡してくれなかったんだ」「カルテットはどうするつもりだったんだ」そんなふうに白黒つけようとする人は、ひとりもいない。そして真紀もまた、試験勉強に勤しむすずめ、週7日で働く家森、会社を辞めた別府を見て、自分がいない間の変化を、ただ受け入れるのだ。

 だが、相手をグレーのまま許容するのは、決して簡単なことではない。相手のことを察する。そして、自分のことを察してもらって当然と思わないことだ。この愛情の形は、この『カルテット』というドラマと視聴者の関係性にもつながっている。真相はグレーのままでも、このドラマの味方でいられるかどうか。

 たしかに白黒つければ、スッキリはするだろう。だが、それは知りたい側のエゴなのだ。好きも嫌いも、過去も未来も、明確な言葉になんてならない。わからないことは、恐怖であり楽しみでもある。それが「ミゾミゾする」という言葉につながっているのではないか。

■グレーのまま生きる覚悟

 再会を果たし、コンサートを開こうとする4人のもとに一通の手紙が届く。「捨てていいよ」という家森に対して、「せっかくのお手紙だから」と、読み上げるすずめ。かつて就職先で「出てけ」と書かれた紙が机いっぱいになるほど溜め込んでいたシーンを思い出す。傷つく言葉でさえも、自分に向けられた意見を必死に受け止めようとする、すずめが愛しい。見向きもされないよりも反応があったほうがいい、というのはわかるが、好意的ではない言葉には傷つくものだ。それが耳の痛い話であればなおさら。

 「みなさんの音楽は煙突から出た煙のようなもの……価値もない、意味もない、必要ない、記憶にも残らない……早く辞めてしまえばいいのに……煙の分際で続けることに一体何の意味があるんだ」と、辛辣な言葉が並んでいた。「自分には才能がないと見切りをつけて、音楽を辞めた」という手紙の送り主。きっと安心したいのだろう、自分の選択肢は間違っていなかったのだ、と。自分が手放した道を進む人は眩しく見える。それは、一度カルテットから離れた真紀もつぶやいていたことだ。

 真紀が選んだ『死と乙女』は、病の床に伏す乙女と死神による対話の詩が描かれている。病に苦しむ乙女に「死」という安息を与えると言う死神。音楽を続ける限り、先ほどの手紙のような心無い言葉に傷つき苦しむこともある。やめれば安息は手に入るが、自分の中の何かが死ぬのだろう。「死ぬなら今かなってくらい、今が好きです」第8話で真紀はそんな言葉を発した。それくらい好きなことをするというのは「生」を感じられること。もしかしたら真紀からこぼれたのは、自分の信じた道を生きることへの執着だったのではないだろうか。

 煙のようにグレーでいつづけるのは、いつやめるべきかというある種の死と直面しながら生き続けることと同じだ。白と黒が死を象徴する色ならば、4人が白黒のボーダー服でかぶりまくった、あのコンサートの朝はカルテットとしての結束と覚悟が強まっていたのだろう。

 届く人がひとりでもいれば、演奏する意味がある。価値がないと言われても、記憶に残らなかったとしても、唐揚げにパセリの彩りはあるのとないのとでは大違い。自分が認められたいのであれば、日々に彩りを添えている存在に目を向けること。そして「サンキュー、パセリ」と囁いていく。そんな毎日が、きっと好きなことを続けていける温かい世の中につながるのだと信じて。筆者も同じ気持ちで記事を書いている。ここまで読んでくれたあなたに「サンキュー、パセリ」。『カルテット』は「いなくなったのではなくいないのがずっと続く」と同じく、終わったのではなくエンディングがずっと続くのだ。(佐藤結衣)