東京都の百条委員会に証人として出席した、石原慎太郎、浜渦武生両氏。責任逃れ発言に落胆したとの声がもっぱらだが、豊洲移転案の経緯や臨海副都心開発の歴史を振り返れば、石原氏の言うような「都知事でさえ逆らえない大きな流れ」が実際にあったことが分かる。(ノンフィクションライター 窪田順生)

石原元知事の責任逃れ!?
百条委員会での発言

 ここ数日、メディアや評論家の間で、石原慎太郎氏と浜渦武生氏の「百条委員会」にガッカリしたという意見がたくさん出ている。

 確かに、お二方の話は従来の主張通りで、東京ガスの瑕疵担保責任免除がどういうプロセスで決定されたのかというのは、まったく見えなかった。落胆する気持ちは分からなくもない。

 しかし、そういう表層的なところだけではなく、彼らが発した言葉を一つひとつ咀嚼してみると、実は今回の豊洲問題の「元凶」が見え隠れしていることに気づく。

「都庁全体の流れとして、市場を豊洲に移すということは、大きな流れとして決定していて、私も逆らえなかった」(石原慎太郎氏)

「豊洲しかないからという話はあった」(浜渦武生氏)

 これらの発言を、マスコミの多くは「責任逃れ」的なニュアンスで紹介している。

 石原氏就任の直後に市場長に就いた大矢実氏は百条委員会で、自分が豊洲と築地の比較対照表を提示したうえで豊洲がいいと決断し、石原氏が「それでいこう」と言った、という主旨のことを述べている。ということは、自分たちで強引に豊洲移転を決めておいて、土壌汚染が問題になったから急に知らぬ存ぜぬになっているのではないか。そう疑いの目を向ける方も多いだろう。

 私は、石原氏と浜渦氏をかばうつもりなどさらさらないが、お二方は特に間違ったことは言っていない、と思っている。彼らが都庁へやってくるずいぶん前から、東京都のなかに、豊洲へ市場移転をする「大きな流れ」というのが確かに存在していたからだ。

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