残業規制「繁忙期100時間未満」は妥当なのか?(depositphotos.com)

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 「過労死」「過労自殺」という名の、数々の悲劇を生んできた日本の長時間労働に、今後こそ歯止めがかかるのか? 労働環境をめぐる議論はいままさに瀬戸際を迎えている。

 政府が導入を目指して協議を進めている「残業時間の上限規制」。安倍首相は3月13日、経団連の榊原定征会長、連合の神津里季生会長と首相官邸で会談し、焦点となっていた「きわめて忙しい1カ月」の上限を「100時間未満」とするように要請した。

 これを受けて、3月17日に開かれた政府の「働き方改革実現会議」で、労使の合意に基づく繁忙期の残業上限を含む規制案が示され、「繁忙期でも100時間未満」が、正式に実行計画に盛り込まれた。

 この「100時間」という数字を巡っては、経団連側が「自由な経済活動を縛りかねない」と難色を示し「100時間」に固執したが、連合側が「100時間未満」と「未満」の表現にこだわり、折衝が続いていた。

月100時間未満の例外は労災の認定基準に相当

 結果的に連合側の言い分が通った形だが――それにしても、この「100時間未満」は妥当なのか? そもそも「月100時間」という残業時間は「過労死ライン」にも該当する数字とされている。

 民進党などの野党は、「法律で過労死ラインまで働かせていいとお墨付きを与えるものだ」と批判している。

 3月15日、参議院議員会館で、過労死で家族を亡くした人や労働問題に取り組む弁護士の集会も開かれた、日本労働弁護団の幹事長をつとめる棗一郎(なつめ・いちろう)弁護士が「労働時間の上限を労働基準法に明記して、それを破る企業に罰則を課すという改正には賛成だ。しかし(繁忙期に)月100時間未満という例外は、労災の認定基準(80時間)に相当する。上限基準としてふさわしいものなのか」と主張した。
<誰かの無理な労働>で支えられる消費スタイル

 折しも、宅配便最大手のヤマトホールディングスでは、巨額の未払い残業代があることが明らかになり、これを会社側が事実上認め、約7万6000人の社員を対象に支給すべき未払い分をすべて支払う方針を固めた。

 ヤマト運輸でサービス残業や長時間労働が常態化したのは、特に近年のAmazonに代表される宅配サービスの急増が大きい。朝に注文した商品が夕方に届くシステムの便利さはいうまでもないが、その便利さは運ぶ側の過重労働によって支えられていることを消費者はもっと自覚するべき時にきている。

 宅配便サービスに限らず、24時間いつでも商品が手に入るコンビニなど、いまの日本の消費社会は<誰かが無理な労働>を状態化させることによって成り立っている。

 そんな超高度消費社会が、もし残業規制がきちんと機能したときにも維持し続けられるのか? あるいは社会の側が、いまのままの便利さを維持しようとすれば、それは結局、残業規制を有名無実化することによってのみ可能になるかもしれない――。

 本当に無理のない範囲で働ける社会を実現するためには、夜中に店が閉まったり、宅配便がすぐには届かないことを我々は受け入れるようになるべきなのではないだろうか。

 ひょっとしたら、その超高度消費社会を維持するための落としどころが、「100時間」という高い数字だったのかもしれない。その数字の妥当性も含めて、本当にいまの社会のスタイルが正しいのか、改めて検討するべき時期が来ているのは間違いない。
(文=編集部)