湘南ベルマーレのU-20日本代表MF神谷優太

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「DAZN×ゲキサカ」Road to TOKYO〜Jリーグで戦うU-20戦士〜Vol.2

 昨季、青森山田高から湘南ベルマーレに加入したMF神谷優太はルーキーながらも、J1リーグで14試合に出場して大きな経験を積んだ。2年目の飛躍を狙う今季は出場機会をつかめない苦しい状況が続いているが、自身を見つめ直してさらなる進化を遂げようとしている。東京五輪世代となるU-20日本代表にも名を連ねる若武者が、2年目を迎えた湘南での日々、高校時代の大きな決断、そしてU-20W杯への思いを語った。

こだわり持つようになった「7」を

自分の番号にできるように

――昨季はプロ1年目ながらも、3月(20日J1第1ステージ第4節浦和戦●0-2)に早々とデビューを飾り、その後も試合に絡んでJ1リーグで14試合に出場しました。

「プロでやれる自信があったかどうかは分かりませんが、『やってやろう』という気持ちでした。その気持ちが練習中から出せていたことで、弔気(諜裁監督)も起用してくれたと思いますが、J1でプレーするには、もっともっとレベルを上げないといけないと感じました。技術的な部分は自信がありましたが、もっと判断を早めないといけないし、もっと落ち着いて周囲を見渡してプレーしないといけません」

――プロのプレッシャーの早さを感じて、プレーを落ち着かせられなかったということでしょうか?

「早さは感じましたが、湘南は練習からプレッシャーが早くて厳しいので、練習をこなすことで徐々に試合のスピードに慣れていき、周りが見えるようになってきましたが、ただ判断を早めるだけでなく、その判断をより良い判断にしていかないといけないということです。あとはフィジカル面や守備の部分は課題だらけなので、そこはもっともっと成長させないといけないと感じています。プロ1年目でJ1を経験できて、多くの課題を感じられたのは本当に良かったと思います」

――「ここを伸ばさないといけない」と捉えることで、課題も前向きに受け止めているようですね。

「課題が見つからない試合はたとえ結果が良くても、ただやり過ごしてしまったという印象を持っていて、練習のときにも課題を見つける必要があると僕は思っています。それも、監督やコーチから言われるだけでなく、自分で見つけることも大事。試合や練習で課題を見つけて、そこを改善していくからこそ成長していくと思うし、一流の選手になっていくにはもっともっと課題を作って、それをクリアしていく必要があります。だから、課題を見つけるのは楽しいし、それを克服しながら成長させていくのもすごく楽しく感じていますよ」

――さらなる飛躍を狙った2年目の今季は開幕から2試合連続でベンチ外となり、第4節まで出場機会がありません。

「こういう時期も大切だと思っています。ベンチに入っていないときだからこそ、何をしないといけないかをより考えるし、逆に成長するときなのかなと自分の中で思っています。『ここが足りない』『もっとここを練習しないと試合に出られない』ということが明確になり、今やらなければいけないことがたくさんあるんだと実感しています」

――湘南での背番号は28から7に変わりました。かつて中田英寿選手が着けていた番号でもあり、クラブからの期待の大きさも感じると思います。

「湘南を昔から応援しているサポーターから『偉大な番号』と言われているし、僕自身もそれは感じています。新しい番号を言われたときにはうれしさが大きかったけど、『期待されている』と感じるのと、うれしさ半分、『もっとやらないといけない』という責任感が強くなりました。7番に近付くプレーをしていかないといけないと感じていますが、番号に気を取られ過ぎず、逆に7番が自分を成長させてくれるはずだと思うようにしています」

――背番号にこだわりは?

「僕は年代別代表でも7番を着けさせてもらい、湘南でも7番を頂くことができたので、『7』という数字がものすごく大事になってきました。昔はあまり番号を気にしていませんでしたが、ここまでいろいろと『7』と縁があることで、『7』にこだわりを持つようになったし、ここまできたら7番を自分の番号にできるようにしたいですね」

踏み出した新しい一歩

改めて気付いた仲間の大切さ

――高校時代は、青森山田高で10番を背負っていましたね。

「偉大な先輩方が着けていた番号で、すごく重みがありました。試合に出て結果を残さないといけない、目立たないといけない背番号だと思っていたので、より一層サッカーに打ち込めました。重みのある番号でしたが、その番号を背負えたことで自分の成長にもつながったと思っています」

――今年度の全国高校選手権では、神谷選手の1つ下の代が中心となり、青森山田が悲願の初優勝を飾りました。

「うれしい気持ち半面、嫌だなって思いましたよ(笑)。(黒田剛)監督が初優勝したことはすごくうれしかったけど、自分たち(ベスト4)を越えられたら正直、嫌だなって気持ちがあったし、俺たちの代の方が良かったじゃないかと思ったりしました(笑)。だから悔しい気持ちがあったのは間違いないけど、素直におめでとうと言いたいし、一緒にプレーしていた後輩たちが選手権を制したことで、本当に刺激を与えてもらいました。その時期、僕はケガをしていたけど、『早くサッカーをやりたい』『早くピッチに立ちたい』という気持ちがより強くなり、相当気合いが入りましたね」

――神谷選手は高校2年生の途中に東京Vユースを離れ、青森山田への編入を決断しました。改めて、当時の気持ちを教えてもらえますか。

「ヴェルディユースの仲間には申し訳ない気持ちもあったけど、自分が成長するために決断しました。もっと成長するためには、環境を変える必要があると思ったし、それも厳しい環境に身を置きたかった。青森は雪の多い環境ですからね。その決断がうまくいかない可能性もあったけど、やってみないと分からないじゃないですか。でも、そこで失敗しても自分の責任だし、どっちに転ぼうとも覚悟はあったので、新しい一歩を踏み出しました。正直、親に反対されるかもしれないと思ったけど、僕の決断を尊重してくれたので、親には本当に感謝しています」

――青森山田での時間を振り返り、どういう刺激があり、どのように成長できたと感じていますか。

「僕は青森山田に行ったばかりのとき、『プロになる』ということしか考えていませんでした。悪く言えば、『自分さえ良ければいい』という感じだったし、極端に言ったら『一人でサッカーができるならそれでいい』くらいに思っていた。けど、当然のことですがサッカーは一人ではできないし、仲間とより触れ合う内に、改めて仲間の大切さ、チームの大切さを実感していきました」

――高校2年生の冬に編入してきた神谷選手を、チームメイトはすんなり受け入れてくれたと。

「2年生の終わりにチームに加わる選手がいるなんて、誰も想像できないですよね。だから僕が入ったら、『チームの和を乱すんじゃないか』とか考えましたが、全然そんなことはなかった。寮での生活が大きかったと感じていますが、サッカーだけでなく、いろいろな話をして盛り上がり、プライベートの時間をともに過ごすことで仲が深まっていき、部活動だからこそ生まれるチームワークというのをすごく感じられた。仲間の大切さを改めて気付かせてもらい、自分がチームのために何ができるかを考えてプレーした結果、皆がいたからこそ、今僕はここにいると思う。本当に監督、チームメイト、コーチ、そして学校を含めて携わってくれた方々への感謝の思いがあります」

――編入して、すぐに背番号10を与えられます。

「(高橋)壱晟(現千葉)なんかは、複雑だったかもしれませんね。彼だけでなく、『何であいつが』と思われているかもしれない中、結果を残せなければ、『やっぱりダメじゃないか』と思われるだけだったので、何かしら結果を残しながら、青森山田の10番に似合う選手になっていかなければいけなかった。悔しさは残りましたが、選手権のベスト4まで進んだこともあり、僕があの番号を着けたことを、壱晟や皆も納得してくれたんじゃないかなと思っています」

何も考えられなくなった負傷

より強くなった日の丸への思い

――昨年10月に行われたAFC U-19選手権ではグループリーグ初戦のイエメン戦(○3-0)と続くイラン戦(△1-1)で先発出場しましたが、イラン戦で負傷して大会の途中で離脱することになりました。

「ただの打撲だろうと思っていたので、(イラン戦を)0-0で終えて悔しい思いしかなかったし、途中交代したからこそ、逆に『もっとやらないといけない』と思っていた。ただ、大事にはならないと思っていたのに、病院で検査を受けたら骨折という検査結果が出て、『代表だけでなく湘南に戻ってもプレーできない』『今年は無理だな』と頭によぎると、その後は何も考えられないようになりました」

――ただ、残った仲間がアジア王者となるだけでなく、U-20W杯出場権を手に入れて世界への扉を開いてくれました。

「世界への切符を手に入れてくれた仲間には感謝していますが、途中離脱した悔しさは相当あったし、だからこそ今年(5月)のU-20W杯への思いは他の人より強いと思っています。努力していれば、『神様は見てくれているはずだ』と自分の中でも思っていて、もしかしたら、あのときケガをしたのも将来のための意味があってのケガだったかもしれません。もし、関係がなかったとしても、努力していくことは変わりませんけどね。U-20W杯出場を決めてくれたことで、そこに向けて頑張ろうという気持ちになれたし、弔気鵑發茲言うのですが、『一日一日を大切にしていかないといけない』と思っていて、日々成長を続けて、もう一度日の丸を背負って戦いたいと強く思っています」

――U-20日本代表のボランチにはMF坂井大将選手(大分)やMF原輝綺選手(新潟)、MF市丸瑞樹選手(G大阪)ら多くのライバルがいます。他の選手には負けられない自分の武器というのは?

「全部、負けたくないですよ(笑)。どの部分も負けてはいけないし、むしろ同年代の選手に負けていたら、この先はないと思っています。原ちゃんはJ1でレギュラーとして試合に出ていて、すごく良い経験をしていると思うけど、それよりも『自分の方ができる』と自信を持っているし、負けてはいけないと思っている。湘南スタイルを体現するという意味で、ピッチ上で走り切る部分を見せたいし、攻撃も守備も必死に頑張りたい。その部分を見せてからの技術だと思うので、まずは湘南で取り組んでいることをしっかり見せて、メンバーに生き残れるようにアピールしたいです」

――20年の東京五輪までを見据えると、U-20W杯は経験しておきたい舞台だと思います。

「僕たちは確かに東京五輪世代ですが、正直、東京五輪のことは何も考えていません。そこを見据えてやるよりも、今、どれだけの練習をして成長できるか、弔気鵑筌魁璽舛寮爾鬚いに聞けるかが本当に大事です。もちろん、U-20W杯に出たい気持ちはありますが、日々の練習をこなし、湘南で結果を残していくことで絶対についてくるものだと思っているので、まずは目の前のこと、目の前の一日を大事にして、ひたすら努力していくだけです。僕はエリートでなければ、天才肌でもない。小さい頃から毎日のように夜遅くまでボールを蹴って成長してきたと思っているので、“雑草魂”を忘れずに頑張っていきます」

(取材・文 折戸岳彦)