『クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』より
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 2007年に59歳の若さで死去したエドワード・ヤン監督の伝説の映画『クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』プロモーションのためプロデューサーのユー・ウェイエンが来日し、上映時間3時間56分の大作を製作した苦労話のほか1980年代から90年代にかけて起こった“台湾ニューシネマ”について振り返った。

 映画のモデルとなったのは、1961年に台北で14歳の少年がガールフレンドを殺害した事件。当時9歳だったユーは「全く覚えていませんが、かなりセンセーショナルな事件だったはずです。ただ、僕より5歳年上だったヤン監督にとっては、自分が通っていた学校で起きた事件ということで大変ショックだったはず。だからこそ映画化しようと思ったのでしょう」と語る。太保(タイバオ)という当時の不良グループの派閥について描かれていることも思い出深いようだ。

 本作の特徴と言えば、3時間を超える長尺。商業的に成功させるためには問題になったと思われるが、ユー自身は「尺は監督に委ねるものだと思っていたので干渉するつもりはなかった」とヤンに一任していたそう。しかし脚本の第一稿に200以上のシーンがあり「『これはマズい!』と焦りました。そこで投資会社にプラスの予算を持ちかけたのですが拒否されるだけでなく、逆に降りられてしまいました。でも、そのことによって映画の権利が監督のものになったので、今考えれば良かった」と当時の苦労話も笑い話になっているようだ。

 25年ぶりに日本公開された本作。なぜ、時代や世代を超えてここまで人々を夢中にさせる作品なのか? プロデューサーの見解を尋ねると、「劇中に流れる1960年代の音楽を売りにするのがいいと考え、レコード会社に話をしに行ったら、『そんな古い音楽を誰が聴くんだ?』と言われたんですよ。それでも無理にリリースしたサントラだったんですが、実際にはその売り上げが映画の興行収入より良かったんです(笑)」と公開当時のプロモーションを述懐。「つまり、いい音楽も映画も、時代や世代を超えて支持されるんじゃないかと。それに観客は単なるなつかしさだけじゃなく、普遍的な青春の熱さや無謀さを観たいんじゃないかと思うんですよ」とも分析する。

 そんな不朽の名作を送り出したヤン監督やホウ・シャオシェン監督らの映像作家を生んだ「台湾ニューシネマ」。自身も監督であるユーにとっては、「時代的に、とても自然な流れだった」とのこと。「テーマとしては土着に生きる人々の姿だったり、都市の変遷のなかに生きる人々の姿だったり、文芸的だったり、ノスタルジックだったり、当時の作品は今の作品にはない共通言語を持っていました」とその傾向を分析しながら、「一方、テンポが遅く、静かに観なきゃいけないといったイメージもあるでしょう。眠くなるので映画館に枕を持っていくのがいいと、イヤミで“枕文化”と言われたぐらいですから(笑)」とユーモアたっぷりに台湾映画の黄金時代を語った。(取材・文:くれい響)

映画『クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』は角川シネマ有楽町ほかにて上映中