戦国大名・武田氏の戦略戦術を記した軍学書『甲陽軍鑑』の記述には、現代ビジネス社会でも適用できる的確な指摘が具体的に示されている。ここで1つ紹介してみたい。

 当時の武士にとって、いい馬を選ぶことは、大変に重要なポイントであった。そうして選んだ名馬を駆使して、戦場で手柄を立てることは、武士として最大の名誉であり、それゆえに、かの山内一豊の妻は、夫の馬のためにへそくりを遣ったのだ。

 しかし、ここで陥りがちな失敗は、「目的」と「手段」の転倒が起きてしまうことだ。

 良馬は、あくまでも戦功を立てるための「道具」であり、「手段」の一つに過ぎない。けれども、その「道具」選びにこだわり過ぎるあまり、いつしか、平時における見栄やファッションとしての良馬が欲しくなり、いつも、馬選びばかりしているようになる。その結果、本業からは外れて、馬の目利きばかりに精を出し、マニアックな趣味に陥ったり、評論家やコメンテイターになってしまう懸念が生じてくるのである。

 『甲陽軍鑑』では、あまり、馬の目利きに懲り過ぎると、その人物は博労(馬の行商人)に成り下がると警告している。

 現代は、多様な価値観が認められる時代であり、個人の趣味の範囲で、マニアックな嗜好や専門的なこだわりを持つことは批判されることではない。けれども、仕事においては、「目的」が明確である以上、その「目的」達成のための「手段」にこだわり過ぎると本来の「目的」があやふやになってしまいがちなのである。

 戦国時代の「馬」を、現代の「パソコン」に例えていえば、あなたが会社の上司から、あるプレゼン資料の作成を依頼されたとしよう。この場合、本来の目的は「資料の発表」であり、「プレゼン資料」そのものは手段に過ぎないが、プレゼンソフトを使えばいくらでも凝ったプレゼン資料が作成出来るし、悪く言えば誤魔化せる訳だ。

 たしかに、そうした凝ったプレゼンを行なえば、発表を見る者の目を奪うことは出来るだろうが、そこに注力し過ぎると、あなたは「紙芝居作りが上手い人」という評価で終わってしまうことを400年前の『甲陽軍鑑』のエピソードは既に警告しているのだ。

 現代のビジネスマンにも充分に通じる教えであろう。本来の目的が疎かになっていないか、常に自問自答しながら仕事をしたいものである。