ビンス・マクマホンの娘、ステファニー・マクマホンが1999年4月、“ロウ・イズ・ウォー”でTVデビュー。1976年生まれのステファニーはこのとき大学卒業から1年、まだあどけなさの残る22歳だった(写真はWWEオフィシャル・パブリシティ・フォトより)

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 ステファニー・マクマホンが衝撃のデビュー――。“マクマホン家の長女”ステファニーが月曜夜の連続ドラマ“ロウ・イズ・ウォー”の画面に初めて登場したのは1999年4月12日(ミシガン州デトロイト、ジョー・ルイス・アリーナ)だった。

 1976年生まれのステファニーはこのとき22歳。前年の1998年6月、ボストン大学(コニュニケーション学専攻)を卒業後、WWEの親会社タイタン・スポーツ社に就職し、約10カ月間、テレビ番組制作の現場を“実習”した。

 プロレスファン、というよりもアメリカじゅうのテレビ視聴者をビックリさせたのは、ステファニーが父ビンス・マクマホンとは似ても似つかないナチュラル・ビューティーの超清純派という事実だった。

 WWEの連続ドラマは“親子の断絶”という普遍のテーマに挑もうとしていた。“親子”とはいうまでもなくビンスと長男シェーン・マクマホン、長女ステファニーのマクマホン親子である。“マクマホン・ファミリーの性(さが)”を描く長編ストーリーは、どうやらビンスとシェーンの“骨肉の争い”がそのプロローグになっていた。

 ポスト“レッスルマニア15”の新シーズンは、“悪の首脳部”コーポレートの分裂というエピソードからはじまった。シェーンは「こんな役立たずのジジイばかり雇っておくからこの会社はダメなんだ」と発言し、父ビンスとパット・パターソン、ジェリー・ブリスコら側近グループの無能さを痛烈に批判。WWEの最高権力者就任をアピールした。

 シェーンの造反によってザ・ロック、ケン・シャムロック、ハンター・ハースト・ヘルムスリー(トリプルH)とその子分たち、“新顔”ビッグショーらコーポレート派閥も2派、3派に分裂現象を起こし、アンダーテイカーはヒール系の新グループMOD(ミニストリー・オブ・ダークネス=暗黒伝道師)を結成。“ストーンコールド”スティーブ・オースチンとマンカインド(ミック・フォーリー)のふたりだけがビンス派ともシェーン派とも一線を画す“超党派”を選択した。

 シェーンのヒール転向は“悪のオーナー”ビンスのベビーフェース路線というまったく新しいシチュエーションを生んだ。

 3.28“レッスルマニア15”のメインイベントの再戦としてラインナップされたストーンコールド対ロックのWWE世界戦(4.25PPV“バックラッシュ/イン・ユア・ハウス”=ロードアイランド州プロビデンス)は、いつのまにかビンスとシェーンの“権力闘争”のドラマにすり替えられていた。

 シェーンはこの日、ストーンコールド―ロック戦の特別レフェリーをつとめ、政治力でストーンコールドの腰からチャンピオンベルトをひっぺがす作戦に出た。しかし、レフェリーの権限による“没収試合”という形でタイトル預かり=王座空位を画策したシェーンの暴挙にストップをかけたのはほかならぬビンスだった。

 チャンピオンベルトの持ち逃げを企てたシェーンをKOしたビンスは、試合終了後、オフィシャル版とドクロ仕様の2本のベルトをストーンコールドにプレゼント。ベビーフェースになったビンスは東海岸エリアの観客からやんやの喝さいを浴びた。

 いっぽう、マクマホン家と対立するアンダーテイカーは同日、K・シャムロックとシングルマッチで対戦。シャムロックの“MMA殺法”に悩まされながらも、最後は十八番ツームストーン・パイルドライバーで辛くもフォール勝ちを収めた。

 試合終了後、アンダーテイカーはリムジンの運転手に“変装”し、ステファニーを誘拐してそのまま逃走した。ステファニーを人質にとったアンダーテイカーは翌日、4.26“ロウ”ハートフォード大会でビンスに対して“WWEの全権”とそれを証明する契約書(委任状)の提出を要求した。

 “傷心の父”ビンスはストーンコールドに娘の救出を依頼し、ストーンコールドもいったんは「Hell No!やなこった」とこれを拒否したが、番組後半では観客の期待どおりストーンコールドがステファニーをMODの“生贄の儀式”から奪還してみせた。

 ステファニーの出現は、ビンスとストーンコールドの人間関係ドラマをさらにディープで複雑なレベルに昇華させたのだった。 (つづく)

※この連載は月〜金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

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