江戸時代から現代まで、その実在については長年疑問視されていた軍師・山本勘助であるが、その一方で、今なおファンは多い。

 その理由はいくつかあるのだろうが、何よりもまず、武田信玄の家臣として最後まで「忠義を貫いた」生き様が、多くの日本人の共感を呼ぶのだろう。その姿勢は、どこか、あの源義経の郎党として彼に忠実に最後まで仕えたとされる「武蔵坊弁慶」に通じるものがあるのかもしれない。

 勘助の場合も弁慶同様、その生涯を通じて、あの時代としては決して器用な生き方ではなかった。いや、むしろ、本当に泥臭く正直者で、人間臭い不器用な人生だったというほかはない。

 けれども、そこには前述したように、決して譲らないポリシーがあった。一本筋の通った信義が存在するのである。

 歴史においては、いわゆる「裏切り者」に対する評価は厳しい。

 例えば、関が原における小早川秀秋のように、長い人生の中で、たった一日、世の中の正義や筋というものに背いたがために、未来永劫に渡って、「卑怯者」の謗りを免れない運命を招いてしまった人物もいるのだ。

 これは、何も歴史に限った話ではなく、今を生きる我々の日常生活においても、同じような倫理観や価値判断に晒されているといえよう。

 つまり、会社勤めや組織の中での振舞いにおいて、著しく倫理性に欠く行為や、いかに合法的といえども、世間の目には背信的に映る行為を行なえば、一時の損得では利益を得ても、長い目で見ると、取り返しのつかない損失を蒙ってしまうことも多々あるものである。

 ついては、ここは一つ、「山本勘助」的な生き方をしてみることを提案したい。

 つまり、不器用でもいい、愚直でもいい、しかし、「こいつだけは、絶対に最後まで裏切らない」と周囲に信じてもらえる生き方を貫いてみよう。いわゆる「品格」ある生き方だ。

 今どきであれば、そんな生き方をしているだけで、非常に貴重な存在として、注目を浴びるだろう。けれども、そうした注目は、良い意味でのものだ。

 ビジネス社会において、山本勘助的生き方をすることは、決してあなたにとってプラスになれこそすれ、マイナスになることはないと断言できる。