【今さら聞けない】50周年を迎えた聖地「富士スピードウェイ」ってどんなサーキット?

写真拡大 (全9枚)

当初はオーバルコースとして計画がスタート

鈴鹿と並ぶ、日本のレースの中心地、富士スピードウェイが今年開業50周年を迎えた。富士スピードウェイのオープンは、1966年1月3日。建設計画は、1963年にスタートした。当初は、アメリカのNASCARを手本とし、日本ナスカー(株)が主体となって計画を進めた。そのため、デイトナ・スピードウェイの設計者、マニー・ペニーがコースレイアウトを考案し、デイトナに良く似た、1周4kmのオーバルコースが原案だった。

その後、スターリング・モスなどにも、レイアウトアドバイスをもらい、アメリカンスタイルのサーキットから、ヨーロピアンスタイルのロードコースに計画が変更。1kmを超えるロングストレートと、30度バンクを持つ、一周6kmのコースとして開業した。

そのオープニングレースは意外にも、二輪の全日本モーターサイクルクラブマンレース。その年の5月には、第3回日本グランプリ自動車レース大会が行われ、なんと9万人もの大観衆を集める。レースはポルシェ・カレラ6とプリンスのR380がデッドヒートで、360kmの長距離レースを砂子義一のR380が制した(無給油作戦のトヨタ2000GTが3位)。

同年、バンクを除いた、4.3kmのショートコースを逆回りする(左回り)形で、インディーカーレースも開催! 翌年には、国内初の24時間耐久レースも実施されている。

ニッサンVSトヨタのワークス勢同士の戦いがピークになった、1968年の日本GPでは、12万人もの観客を動員。1971年からはじまった、富士グランチャンピオンシリーズ=GCでは、毎戦6万人以上のファンが集まり、異常なほどの熱狂を見せていた。

しかし1974年に、30度バンクで大事故が発生。以後30度バンクがレースで使用されることはなくなり、4.3kmのコースに変更……。

1976年には日本初となるF1も開催された

GCレースの前座として行われた、ツーリングカーレースでも、GT-Rやサバンナ、サニー、スターレットなどの熱戦が繰り広げられ、1976年には、日本初のF1GP、「F1世界選手権イン・ジャパン」も! 長谷見昌弘、星野一義、高原敬武が日本人として初参戦。大雨のレースは、映画「ラッシュ」のハイライトにもなった。

その他、グループAレースのインターTECや、F3時代のシューマッハ、ハッキネンらで争われた、インターナショナルF3リーグ、星野一義が日本人として初の世界選手権レースを制した1985年のWEC-JAPAN、2007年、2008年のF1日本GP等々、この富士スピードウェイを舞台にした、名レースは数えきれない……。

1970年代後半から、1980年代初頭にかけ、富士スピードウェイの存続か、廃止かが検討された危機もあったが、2000年からトヨタ自動車が買収し、2005年にコースを全面改修し、近代的なサーキットに生まれ変わって現在に至る(設計は1990年代以降に新設されたF1開催サーキットの大半を手掛けたヘルマン・ティルケ。全長は4.563km)。

かつては、富士ンターナショナルスピードウェイ=FISCO(フィスコ)の名で親しまれていたが、現在の略称は「FSW」。

今年も、FIA 世界耐久選手権、スーパーフォーミュラ、SUPER GT、スーパー耐久などのビッグレースの開催が予定されている。関東からも、東海地方、関西からも、モータースポーツファンが集まりやすい場所にあるので、レースファンだけでなく、最近は最高速が250/hオーバー級のハイパフォーマンス車のオーナーなどの走行会の会場としても人気がある。

50周年を迎えたこれからも、日本のモータースポーツの一大拠点として、ますますその存在は大きなものになっていくはずだろう。