「いつか地方移住を後悔するよ」の言葉に思うこと。花咲くステージは“東京”じゃなくていい
移住者は、地元のメディアからすると格好のネタらしく、取材されたり、ニュースに取り上げられる機会が増える。立山町に引っ越してひとつ、楽しみになったのが地元の新聞を読むことだ。自分が企画したイベントが記事に取り上げられたり、知り合いが紙面にひょっこり出ていたり。そして誰でも自分の花を咲かせることのできる「舞台」を持っている。
きっと誰しも、輝ける「ステージ」がある
東京時代、新聞社にいた頃は、取材テーマは「仕事」や「働くこと」にまつわるものだった。特に、私自身、就職氷河期で就職に苦戦したこともあり、学生の就活事情は、特別な思いを持って取材したものだった。
東京では、新聞に載るなんて、悪い事件に関わった時くらいしか可能性がなさそうだが、地方に引っ越してくると、各種メディアに取り上げられる率がグンとあがる。
テレビ、新聞、ラジオ……。最初は、次々と寄せられる取材依頼にとまどった。自分は本来、「取材する側」の人間で、今でも、表に立つよりは、「黒子」の立場だと思っている。誰かの「声」に丁寧に耳を傾け、それを記事にしてその人の「思い」を代弁する、それが自分の役割だと。
「移住してきて、たいした仕事の成果も上げてないうちから、目立つだけ目立ってゴメンなさい」という気持ちも正直あった。だけど、縁あって、自分に廻ってきた依頼については、可能な限りお断りせず引き受けようと思った。すべては、少しでも「地域の活性化」につながるのなら、という思いだった。
メディアばかりに出ていると、「出たがりな人」と思われるかもしれないけれど、本音はまったく逆なのだ。
私が東京から立山に行ったのは、自分をもっとバージョンアップさせるためで、いま一歩、「突き抜けたい」と思った時に、それを叶えるのは、今までとまったく違う環境に飛び込むことだった。そんな話を友人としていたら、逆に富山から東京に出ていって、いまは水を得た魚のように毎日をイキイキ生きている人の話を聞いた。
それを聞いて改めて思った。人間にはきっと誰しも、その人がもっとも輝ける「人生のステージ」というものが必ずあって、それが都会なのか、地方なのかは人それぞれなのだ。
私の場合は、たまたま富山、立山だったし、東北から集団就職で東京に出てきた親の場合、きっとその舞台は東京だったのだ。
そして、そんなひとり一人の「活躍できる舞台探し」をお手伝いさせていただくのが、今の私の仕事である「移住・定住相談」なのかも、と思う。
「いつか、立山町に来たことを後悔するよ」
引っ越してきた当初、故郷である富山から県外に飛び出し、首都圏でビジネスを興している友人から「いつかきっと、立山町に来たことを後悔する日が来るよ」と言われた。その時は、「そんなこと、あるわけない」と笑って流していたけれど。そして、さいわいにして、今のところまだその気配はやってこないけれど……。
ただ、お祭り気分で終わってしまった移住1年目に比べると、2年目はたくさん考えた一年でもあった。自分の今後の生き方について。そして自分がこの人生で果たす使命について。
人が生まれてきて、この世で果たすべき「使命」は誰もが持っている。
それに気づけた人は幸せだし、気づけないまま、この「浮世」のような一瞬の人生を終えてしまう人がほとんどだと思う。私がここ富山に、立山にやってきたのは、立山の神様からその「使命」をキャッチしたような気がしていたからなのだが。
桜のタネを持つ人間は、桜の花しか咲かすことができない。どんなにバラの花を咲かせたくても、自分の「タネ」がアサガオだったとしたら、どんなに努力してもアサガオの花しか咲かせることはできない。
そんな、自分の中に眠る「タネ」がいつ長い冬眠から目覚めて、芽を出し、花を咲かせるのか、待ち遠しい今日この頃。ついつい、焦りそうになる自分がいるが、今は花を満開にさせるための、土壌作りの時期だと思って厳しい氷河の中でじっと雪解けを待っている。
そして、何が起きても、焦らず、動じず、ど〜んと構えて目の前のひとつ一つを丁寧にこなしてゆくことで、次なる道は必ず拓けると信じている。
写真:松田秀明
高橋秀子