【祝スカイライン60周年】歴代モデルを振り返る「7代目から9代目」

写真拡大 (全15枚)

ラグジュアリー路線に転向した7代目から不遇の9台目まで

スカイラインの60周年を記念して歴代モデルを振り返る本企画。シャーシは、例によってローレル・レパードと共通だったが、エンジンは第一世代のGT-Rの象徴だった、直列6気筒DOHC4バルブエンジン(RB20DET)が復活。HICASやダイレクトイグニッション、可変吸気マニホールド、プロジェクターライト(量産車世界初)など、ハイテク満載のクルマでもあった。

また、グループA参戦のためのホモロゲーションモデル、GTS-Rを限定800台で販売したり、限定200台のGTSオーテックバージョンが登場したり、トミーカイラから国産初の公認チューニングカーのコンプリートモデル、トミーカイラM30がリリースされたりと、限定モデルで注目を集めた。

しかし、ハイソカー路線と走りのキャラクターの融合は、二兎を追う者は一兎をも得ずとなり、ビジネス的には不成功に終わる。当時の日産の迷走を象徴している面もあるが、このR31の大ゴケが、名車R32、そしてGT-R復活の原動力となる。

今なお多くのファンを抱える伝説の名車R32GT-Rが誕生

8代目 R32型(1989年-1994年)

R31での反省を踏まえて、平成元年に新しい時代を象徴する、走りのスカイラインとして登場。「1990年代までに技術の世界一を目指す」として日産が取り組んだ、901運動の代表的車種で、ベースモデルからシャーシを刷新。当時タブーとされたボディのコンパクト化を敢行し、機能重視のパッケージを採用。四輪マルチリンクサスを新たに投入し、ポルシェ944ターボにも匹敵する世界最高レベルのFR車のハンドリングに仕立て上げた。

そのうえで、ベースモデルの販売開始から3カ月後に、ついにGT-Rが復活。初代のデビューからちょうど20年後、ケンメリGT-Rの生産終了から16年ぶりのカムバックだった。チューニングすれば、1000馬力にも耐えられる強力なRB26DETTエンジンに、トルクスプリット4WDのアテーサE-TSなどが与えられたGT-Rは、目標にしていたグループAレースで連戦連勝(29戦29勝無敗)。

チューニングカーのベースとしても、他車とは一線を画す存在で、ゼロヨン、最高速、サーキットなどで次々と新記録を樹立。国産スポーツモデルのパフォーマンス&クオリティを、一気に10年分進化させた一台といっても過言ではない。

なお、キャッチコピーは「超感覚スカイライン」だったが、型式のR32から、「サンニー」「アールサンニー」と呼ぶ方が一般的だ……。詳しくは「

当初、クーペはR32ベース、4ドアはローレルと共用シャーシというプランだったが、最終的には全車が大型セダンのローレル共用ボディになってしまった! 専用シャーシが与えられたR32やR34に対し、イマイチ評価が低いのはこのため。スタイリングもしまりに乏しく、一体感がないのは否めず、結果として人気は低迷。

「本流グランドツーリングカー」というのが、R33のキャッチフレーズだったが、もはや覚えている人は少数派だと思われる……。

マーケティングに一所懸命耳を貸したはずなのに、その結果、ユーザーからそっぽを向かれるというパターンに陥ってしまった一台。マーケティングからは名車なんて生まれないというのが、R33の教訓だ。

しかし、シャーシにハンデ(?)を抱えながらも、ガソリンタンクをリヤシートの下に移したり、バッテリーを後車軸上(トランク)に設置するハイトラクションレイアウトなど、細かい工夫を凝らした。ニュルブルクリンクでのラップタイムを、R32GT-Rより、21秒短縮。CMでも「マイナス21秒ロマン」を標榜していたが、それも反感の対象に!? GT-Rではない、FRのタイプMなどに搭載された、RB25DET型エンジンの「リニアチャージコンセプト」など、技術的にはかなり進んでいた面もあるのだが、大きくて、間延びしたボディが「カッコ悪い」という評価は覆せず、技術者たちの努力が、報われないクルマになってしまった……。

1997年にスカイライン生誕40周年を記念した限定車、「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を発表。第二世代GT-Rの開発ドライバーを務めた、現代の名工=加藤博義さんが、この4ドアのGT-Rを愛車にしているのは有名。ニスモから、このR33をベースにした、2.8リッター(400馬力)仕様のコンプリートカー「400R」も登場している。