二股男が決断できない理由は?アドラー心理学の観点から「悩む」を徹底解析

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人間関係は仕事・交友・愛と3つのタスクに分かれ、それぞれ難易度が異なります。
自分が他人や他者に対して適切な「貢献」を行えると、これらのタスクに対して上手な人付き合いができるようになる、との内容でした。

今回は「悩む」ということに焦点をおいて、アドラー心理学を解説しましょう。

■選択できない人は選択しない人


私は以前、とあるSNSの恋愛相談コミュニティーを管理運営しており、そちらを通して年間2千人以上におよぶ恋愛相談を承っていました。

その際、
「恋人が二股していて、どっちを本命にするか悩んだままなかなか決断してくれない」
という相談を何度か受けたことがあります。

二股している恋人は、
「どちらも大切な存在だからすぐに判断することができないし、じっくり考えて決めたい」
と言いながらずっと悩み続けているそうで。

ケジメをつけるよう強引に迫るのが恐くて、なかなか強気に出られない。
でもこんな中途半端な状態が続くのは嫌…。どうしたらいいか、という内容でした。

このような相談に対して、私の回答はひとつ。
「相手が自ら決断することはない」です。

少なくとも、相談者かもう一方の相手が「もうこの関係はやめる」と決断しない限り。
ではなぜ「決断することはない」といえるのでしょうか。

■「悩む」ことが目的になる


アドラー心理学では、人の行動には必ず何らかの目的がある、と説いています。
物事には達成ポイントがあって、人はそれに向かって進んでいくわけです。

この達成ポイントが「目的」であり、そこに上手くたどり着けないときに悩むという行動(過程)が発生します。
通常であれば悩むことで突破口を見つけるのですが、稀にこの悩むことそのものが「目的」となるのです。

先の二股する恋人の例でいえば、本来決断することを目的として悩むという行為になるはずが、悩むことが目的で悩んでいるわけですね。
だから、いつまでたっても決断ポイントにたどり着かない。

まあそもそも、本当に大切にしたい関係ならばどんな障害があろうとケジメをつけるもの。
ケジメをつけない時点で結論が出ているのですが、それを認めるより「悩んでいる」という状態でいたいわけです。

そうやって悩んでいる間は、自分や他人に対して「問題に向き合っている」というアピールになるから。
このような「アピール」の根底にあるのは、自分以外の何か(他人や時間)が代わりに決めてくれるまで問題を先送りにしようとする「甘え」なのです。

■まとめ


決断できない人はなぜできないのか、ご理解いただけましたでしょうか。

例えば、気になる人がいるけれど過去のトラウマからアプローチしにいけない!といって、いつまでもグズグズしている人にも同じことがいえます。

トラウマとストレスを混同する方って多いのですが、全く異なります。
心身の安全を脅かされるような危険にさらされた、あるいは目にした影響で、強い恐怖を感じるような反応を示すことが、トラウマです。

過去の経験がストッパーになり、傷つくのを怖がるのはトラウマではありません。
それはトラウマという言葉を、勇気を出せない自分の免罪符代わりに使用しているだけ。

つらい記憶のストレスと向き合うより、迷っていたいわけですね。
迷うことが目的になっている間は、決断することはできないのです。

自分が幸福になるために、自分にとって都合のいい目的ではなく、本当に必要とすべき目的に向かって進む勇気を持ちましょう。

自分に曖昧を許したら、得られる幸福も曖昧なまま。
好きに人に対して、好きな人だからこそ「甘え」を許さない強さを持つべきです。

自分と相手が達成すべきポイントはどこなのか。悩んでいるこの瞬間、本当にそこに向かっていますか?
改めて考えてみてくださいね。

ライタープロフィール


黒木蜜
一般企業に勤めながら執筆した作品が日本文学館のオムニバス本に掲載され作家デビュー。古事記への造詣が深く、全国300ヶ所以上の神社紹介記事を執筆。現在、古事記の観点から紹介する神社コラム/恋愛コラムなども手がけている。
黒木 蜜〜中今の詩〜