Jリーグで実は背番号「10」を着けたことがない意外な選手5人

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背番号「10」の印象が強くても、実はJリーグで着けた経験がない選手もいる。

今回は、実はJリーグで“ナンバーテン”を背負ったことのない実力者を選んでみた。

※なお、背番号の表記は固定制が導入された1997年以降を対象

名波 浩

【Jクラブでの背番号の系譜】

7 :1997 - 1999年, 2001 - 2006年, 2007年(磐田、東京V)
16:2000年, 2006年, 2008年(磐田、C大阪)

日本代表のNo.10として、初めてワールドカップに出場した名波浩。2010年のアジアカップでも「10」をつけて日本代表を優勝に導いたが、意外にもJクラブではそのナンバーを背負ったことがない。背番号固定制が導入された1997年以降、ほとんどのシーズンで「7」をつけたが、現役最後となった2008年は16番だった(当時の7番は太田吉彰)。なお、ヴェネツィア時代も愛着ある7番。

香川 真司

【Jクラブでの背番号の系譜】

29:2006年(C大阪)
26:2007 - 2008年(C大阪)
8 :2009 - 2010年(C大阪)

アルベルト・ザッケローニ体制以降、日本代表の10番というイメージが定着した香川真司。しかし、クラブキャリアでは一度も「10」を背負ったことがない。Jリーグ時代には森島寛晃からセレッソ大阪のエースナンバー「8」を受け継ぎ、その後ドルトムントへ移籍。マンチェスター・ユナイテッドでは栄光の7番を背負うという噂もあったが、結果的には「26」を選択した。ちなみに、プロデビュー当時の番号は29番。

家長 昭博

【Jクラブでの背番号の系譜】

28:2004年(ガンバ大阪)
14:2005 - 2006年, 2008 - 2010年(G大阪、大分、C大阪)
8 :2007年(ガンバ大阪)
41:2012 - 2013年, 2014年 - (G大阪、大宮、川崎)

ザッケローニ体制以降、日本代表で10番を背負った選手はわずかに5人しかいないが、その一人が家長である。Jリーグ選抜とのチャリティーマッチでは香川の不在もあり「10」をつけてプレーした。クラブキャリアでは様々なナンバーを背負っており、14番をつけることが多かった。しかし2012年からはその番号を逆にした「41」を愛用しており、今季からプレーする川崎でも選択している。

東 慶悟

【Jクラブでの背番号の系譜】

21:2009年(大分)
8 :2010 - 2012年(大分、大宮)
38:2013年 - (FC東京)

ロンドン五輪の日本代表でトップ下を務めた東慶悟。予選の全8試合に先発出場するなど主力として活躍し、国際大会で10番を背負ってプレーした。しかし、クラブでは21番、8番、38番を背負っており、10番をつけたことはない。2013年5月にはA代表に選出されたが、この時は出場機会なし。なお、この時の背番号は「26」だった。

本田 圭佑

【Jクラブでの背番号の系譜】

39:2004年(名古屋)
24:2005 - 2007年(名古屋)

名門ミランの「10番」も、Jリーグではそのナンバーを背負った経験がない。名古屋では39番と24番をつけ、その後日本を離れてもうじき10年になる。海外クラブではVVVで29番と10番を、CSKAモスクワでは7番を選択。日本代表では長く「18」をつけていたが、ここしばらくは4番がお馴染みとなっている。