「僕にとっては普通のことなので、それほど気にはならない。むしろ、自分より小さい選手と対戦することになったら、どうプレーしたらいいのかわからなくなるかも……?」

 そう言うと、彼は八重歯をこぼし、少し照れたような笑みを浮かべた。


強豪を次々と倒す小柄な西岡良仁のプレーは観客を魅了した アメリカ人記者から投げかけられた「自分より大きな相手と戦うことの難しさは?」という問いへの答え。身長170cmの西岡良仁がインディアンウェルズ・マスターズ2回戦で211cmのイボ・カロビッチ(クロアチア)を破った後の、会見での一幕である。

 小柄な挑戦者が大きな存在へと立ち向かうその構図を、欧米文化圏の人々はよく、旧約聖書の物語になぞられて「ダビデ対ゴリアテ」と形容する。小柄な羊飼いの少年ダビデが、知恵と勇気を武器に最強の兵士と謳われた巨人ゴリアテを破る――。その痛快な英雄譚(えいゆうたん)は、いつの時代も人々の心を躍らせる。インディアンウェルズ・マスターズで4回戦に到る西岡の戦いも、ダビデが数々のゴリアテたちを破っていくかのような旅であった。

 その冒険譚(ぼうけんたん)は、実は1回戦よりさらに前の予選決勝から始まっている。この試合での西岡は、20歳のイライアス・イーマー(スウェーデン)が繰り出す中ロブに対応しきれず、内部から崩れるように敗退した。ところがその直後、本戦に欠場選手が出たため、繰り上がりで予選を抜けたことを彼は知る。しかも初戦の対戦相手は、今しがた敗れたばかりのイーマーだ。期せずして訪れたリベンジの機に、無類の負けず嫌いが燃えないはずはない。

「長いラリーなら、こっちからやってやるよ!」と覚悟を決めてコートに立った西岡は、ふたたび中ロブを多用する相手のボールにどこまでも食らいつき、最後はイーマーの心をへし折る。6-4、6-1のスコアには不釣り合いな1時間47分の長い試合時間に、西岡の真骨頂が映されていた。

 2回戦は41cmの身長差対決にどよめきが起こるスタジアムのなか、小柄なファイターはひとり冷静に戦前の策を遂行し続けた。面した7本のブレークポイントの危機をすべてしのぎ、手にした4本のブレークのチャンスを3度までもモノにする。第19シードのカロビッチを6-4、6-3で打ち倒した勝利は、その日が誕生日だった父親への最高のプレゼントでもあった。

 3回戦での西岡は、世界14位のトマーシュ・ベルディヒ(チェコ)に第1セットをわずか30分で奪われ、第2セットもゲームカウント2-5と敗北まであと1ゲームに追い詰められた場面から、驚異の大逆転劇を演じてみせた。

 敗色濃厚になってもなお、西岡は「相手がナーバスになっていること」、そして「長い打ち合いを嫌がっていること」を見抜いたという。この4週間、大柄な選手相手に14試合を戦い抜いた身体が満身創痍であることは、本人の「いろんなところに痛みが出てきた」の言葉を聞くまでもなく、想像にかたくない。その彼が自分の武器を信じ続け、コート上で何度も屈伸を繰り返しながらも、自ら長い打ち合いを挑んだのだ。

 最終ゲーム……相手の強打をしのぎ続けた16本のラリーの末に、最後はベルディヒがスマッシュをネットにかけたシーンが、この試合を象徴する。38度を記録した猛暑のなか、2時間22分の死闘を制し前のめりに倒れる西岡の姿を、涙をぬぐい見つめる馬木純也トレーナーの姿が、奇跡の価値を物語っていた。

 その西岡の試合をテレビで見ていた錦織圭は、「僕がやるにしても、タフな相手だろうな……」と、苦戦を強いられるベルディヒの姿に自分を重ねていたという。錦織は今や西岡を、単なる後輩として見てはいない。いつの日か対戦するであろう、同じステージに立つ者として認めていた。

 その錦織と「マスターズのベスト16に日本人がふたりもいるなんてすごいね」と言葉を交わしたことが、疲れた身体にエネルギーを注いだだろうか? 4回戦でスタン・ワウリンカ(スイス)に立ち向かう西岡は、連戦の疲れを感じさせぬ躍動感あふれる動きでボールを追い、スピンをかけた弾むボールでワウリンカのリズムを根底から揺るがした。一方、長い打ち合いに焦れて強打を試みては、ミスを重ねる世界3位……。

「深いボールで攻め、相手の弱いところを突く戦術」を遂行した西岡が第1セットを奪取。第2セットは取られるも第3セットで先にブレークした西岡が、自分のゲームをキープすれば勝利する機を2度までも迎えていた。しかしそれらのゲームでは、いずれも浅くなったボールを相手に叩かれてブレークされる。

「ボールにパワーを伝えられない状態になっていた……」

 2時間を超える試合のなか、蓄積された疲労が最後は、相手を抑え込む力をボールから奪っていた。それでも、試合終了の瞬間まで走り抜いた西岡のひたむきさが、敗者を称える万雷の拍手を引き起こす。四方に手を振りコートを去るその背に、対戦相手のワウリンカも立って拍手を送り続けた。

「惜しかったわね……」

 試合を観戦していたアメリカ人女性のひとりが、西岡の背を見送りながら、そんな言葉をふと漏らす。

「私は、スタン(・ワウリンカ)の試合を見にきたの。でも、いつの間にかニシオカを応援していたわ。この試合を見ていた人は、きっとみんなそうよ」

 体格を言い訳にせず、むしろ自らの美点に変えて戦う西岡の姿は、南カリフォルニアの砂漠の町で、見る者たちを惹きつけた。

 羊飼いの少年ダビデの物語が、人々の心をとらえ続けてきたように……。

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