パートやアルバイトというような非正規雇用が増え続けている現代。いわゆるフリーターと呼ばれているアルバイトやパート以外に、女性に多いのが派遣社員という働き方。「派遣社員」とは、派遣会社が雇用主となり、派遣先に就業に行く契約となり派遣先となる職種や業種もバラバラです。そのため、思ってもいないトラブルも起きがち。

自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「派遣社員を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

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今回は、都内で派遣社員として働いている関本恵美さん(仮名・26歳)にお話を伺いました。恵美さんは黒髪のストレートロング、白地ベースに小花柄のワンピースの上にはペールトーンの黄色いカーディガンを肩に掛けて、膝が薄く見える20デニール位の黒いタイツに、薄いベージュ色のワンストラップのヒール靴を履いていました。腕にはローズクォーツでできた数珠のようなブレスレットをし、指先にはパールピンクのネイルが塗られていました。

キャメル色のショルダーバッグと、雑誌の付録だと言うトートバッグにはエプロンやハンドタオルを入れているそう。

「今年から料理教室に通い始めたんですよ」

月1の料理教室は、料理が苦手な恵美さんにとっては婚活のために通っていると言います。

「クルマで行くような距離なのですが、ショッピングモールの中にクッキング教室ができて。チラシを貰った母親が、勝手に申し込んできちゃったんですよ」

まさに、“婚活で勝ち組を目指している”と言う恵美さん。そんな彼女に、どうして派遣で働いているのか聞いてみました。

恵さんは、都心から電車で40分ほどの都市で育ちました。

「一応、都民なのですが、急行に乗らないと遠くて。就職をしたら実家を出たかったのですが、“実家を出るくらいなら、私もついていく”って母に言われてしまって」

今でも、実家暮らしを続けていると言います。

「母が、私の中学の時の同級生が、キャビンアテンダントになったのが羨ましいらしくて。“うちの子の方が成績が良かったのに”とか、家で愚痴をこぼすんですよ。そのたびに申し訳ないなって気持ちになりますね」

専業主婦だった母は、恵美さんの中学受験に力を注ぎます。

「小学校くらいまではピアノとか水泳とかお稽古事を習っていたのですが、高学年になったら、全部やめさせられて。塾一本になって、中学受験を目指しましたね」

SNSもチェックされ、自由に遊びに行けない毎日……

第一志望は無理でしたが、第二志望だった進学校に無事合格できました。

「なんとか、中高一貫の中学校に受かったんですが、そこが成績のピークだったみたいで、その後、伸びなかったんですよ」

やっと受験勉強から解放されると思っていた彼女。しかし、母親の干渉は続きます。

「母親同士の交流が盛んな学校だったので、家に帰るといつも同級生と比べられていましたね。“〇〇ちゃんは部活もしているのに、成績が何位だったよ”とか。うちは高校に入ったら、部活もバイトも禁止で、まっすぐ家に帰るか塾に行く生活をしていたのですが、予備校のクラス分けで、自分が通っている学校の子がいないようなクラスしか入れなくて母が予備校に抗議をしに行ったのを覚えています」

恵美さんが中学生の頃に、父親が不倫していたのが発覚。そのまま離婚はしなかったものの、常に母親に監視をされているような学生生活だったと言います。

「SNSとかも、母が見ていたりするんですよ。一度、母に内緒で塾をさぼって友人と遊びに行ったことがあって。すぐに母にバレて連れ戻されました」

大学受験では、共学の大学を受験するのを禁止されました。

「大学は受験したのは女子大オンリーでしたね。母が“女子大の方が就職に有利だ”と言ってきかなくて。母も地方ですが女子大卒で、地銀で父と出会ったんですよ。その印象が強いみたいで」

母親に怒られるのが怖くて、学生時代は寝る間を惜しんで、勉強を頑張っていたと言います。

就活に口を出す毒親の母! 彼氏の職場にも電話する暴走ぶりに退社を決意! その2に続きます