ドレスコーズ

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 ドレスコーズの新作『平凡』は、“ごくごく近未来の世界で発表されたとあるバンドの作品”という設定のコンセプトアルバム。個性的であることが恥ずべきこととされ、バンド演奏、アート活動などが嘲笑の的になっている時代において、アーティストはどうあるべきか、また、何を為すべきか?ーーあまりにも切実なテーマが反映された本作の最大の魅力は、じつはそのコンセプトワークではなく、“音楽そのもの”であると言っていい。そう、ディストピア的な未来像にどうしてもシンクロしてしまう我々の自意識を丸ごと吹っ飛ばし、快楽的なダンスミュージックへと誘うファンク・グルーヴこそが、本作のキモなのだ。

 志磨遼平に彼自身が「音楽作品としての強靭さが、このアルバムのすごさ」と胸を張る『平凡』の音楽的な成果について、しっかりと語ってもらった。(森朋之)

・『ロックでなければ何でもいい』と思っていた

ーーニューアルバム『平凡』がリリースされました。リスナーからのリアクションはチェックしてますか?

志磨遼平(以下、志磨):うん、エゴサーチでいつも見てますよ。

ーーまさに「エゴサーチ・アンド・デストロイ」ですね(笑)。

志磨:そうですね(笑)。今回のアルバムにはいつもにも増して思い入れがあって、リリース前は「理解されなくてもしょうがないだろうな」と思ってたんです。もののはずみで「そう簡単に理解されてたまるか」とTwitterに書いたりもしたんですけど、逆に「とことんこのアルバムに向き合ってやろう」と思ってくださる方も少なからずいて。「いわゆるポップスみたいなものとはちょっと違うようだ」と気付いてくれて、しっかり腰を据えて聴いてくれた人がいたのは予想外だったし、すごく嬉しいですね。「今週は○○と××のCDを買った。どれも良かった」みたいな感じではなく、「よくわからなかったから、もう1回聴いてみよう」だとか「『平凡』ばっかり聴いていて、他のCD聴けない」なんて言ってもらえるのは、願ってもないことなので。

ーー単なる情報のひとつではなく、芸術作品として捉えられていると。

志磨:そう言うと大げさですけどね。今回のアルバムは、テーマがバカでかくて、“消費”というのもそのなかの1つなんです。そういう作品が簡単に消費されてしまうのもオチとしてはおもしろいというか、皮肉が効いてていいなって思ってたんだけど。僕はポップスを“そういうもの”として捉えているので。みなさんが「これはいままで聴いてきた音楽とは様子が違うようだ」と思ってくれたのは、僕が込めた怨念のせいでしょうね。それくらい強い思いを込めているので。

ーーなるほど。このアルバムのいちばんの素晴らしさは、音楽そのものにあると思ってるんです。コンセプトを知らなくても、日本語がわからない人が聴いても「これはすごい」と感じるんじゃないかなと。

志磨:ありがとうございます。嬉しいです。

ーーサウンドの軸になっているのはファンク・ミュージックですが、今回、全面的にファンクを取り入れようと思ったのはどうしてなんですか?

志磨:もちろんファンクにも興味があったし、もっと言うと「ロックでなければ何でもいい」と思っていたんです。それはドレスコーズを結成してからずっと自分に課していたハードルでもあるんですけど、このアルバムでやっとクリアできた気がしているんですよ。たとえば8ビートではないリズムだったり、西洋のものではないビートや文化を取り入れたかったので。コード進行、メロディの展開など試してみたいことがいろいろあって、それがようやく、まとまったカタチで作品にできたかなと。いままでも小出しにしてたんですけど、“1枚まるごと”というのは初めてなので。

ーーこれまでの音楽的な試行錯誤がようやく結実したと。

志磨:はい。タイミングみたいなものもあったと思いますね。「いまやらねば」という感じがあったというか、洋楽を含めてポップスの構造がどんどん更新されるなかで「(音楽的な)転換をこれ以上遅らせるわけにはいかない」と。去年、デヴィッド・ボウイとプリンスが続けていなくなってしまったのも、理由としては非常に大きいです。彼らの訃報を受けて、何もリアクションを起こさないで過ごすことはできなかったし、それを作品として出したくて。

ーーデヴィッド・ボウイがブラックミュージックに接近した「Young Americans」(1975年)、「Station To Station」(1976年)がひとつのモチーフになっているそうですね。

志磨:それもね、よくできたストーリーがあるんですよ。毛皮のマリーズのときの話なんですけど、あのバンドがいちばん影響を受けていたアーティストのひとりがデヴィッド・ボウイで。解散ツアー(『TOUR 2011“Who Killed Marie?”』)のセットリストの最後が「THE END」という曲で、その後、ボウイの「ロックンロールの自殺者」を大きな音で流しっぱなしにして帰るという演出をやったんですね。それから何年か経って、一昨年、久しぶりにマリーズの西くん(越川和麿/G)とツアーを回ることになって。そのときに「『ロックンロールの自殺者』の続きをやろう」と思って、ライブの前に「アラジン・セイン」をかけたんですよ。

ーー「ロックンロールの自殺者」はデヴィッド・ボウイのアルバム『ジギー・スターダスト』(1972年)の楽曲で、その次の作品が『アラジン・セイン』(1973年)ですからね。

志磨:はい。その後のドレスコーズのツアーは「過去の曲を葬り去る」というテーマだったんですが(『the dresscodes R.I.P. TOUR』)、ライブ前に「ダイヤモンドの犬」(1974年リリースの『ダイヤモンドの犬』収録曲)をかけてたんですよ。その後はもう「ヤング・アメリカンズ」をやるしかないでしょ(笑)。しかも、一昨年の末に「ボウイが新作を出す。しかもブラックミュージックに接近したアルバムになるらしい」という噂が聞こえてきて。そのときにボウイと自分の周期が近づいたというか、自分自身がブラックミュージックに向かう過程がはっきり見えたんです。そこからなんですよね、『平凡』に進んでいったのは。だから、今回のアルバムは自分で作った感じがしないんです。世の中の流れをピックアップしただけというか。すごい大作なんだけど、自分が貢献したことはそんなにないっていう、不思議な作品ですね。

・今回のアルバムのいちばんの達成はビートであり、アレンジであり、ミックス

ーーなるほど。ファンクって、高い演奏技術が必要な音楽じゃないですか。

志磨:そうなんです! その話もぜひしたくて。

ーーボウイの最後の作品『★』にはマーク・ジュリアナ、ティム・ルフェーブル、ダニー・マッキャスリンといった錚々たるミュージシャンが参加していましたが、“それを日本でやったら、こうなる”というのが『平凡』じゃないかなと。

志磨:それはすごく嬉しいですね。ミュージシャンに関しては、このメンバー(POLYSICSのハヤシ、ZAZEN BOYSの吉田一郎、skillkillsのビートさとし)が僕の第一希望だったんです。「この人たちが参加してくれたら、すごい作品になるだろうな」と思ったし、なんとか時間を都合してもらって。レコーディング期間は1週間しか取れなかったけど、アレンジも録音も、そのなかで全部やったんですよ。

ーー参加メンバーはどんなふうに決めたんですか?

志磨:リズム隊の2人はすぐに浮かんできたんですけど、ギタリストはどうしようかな? って思って。ブラックミュージックが得意なギタリストではなくて、自分がイメージしていたのはニューウェイブの頃のギタリストなんです。Pigbag、James Chance and the Contortionsのような、パンクを通過してファンクに辿り着いた人たちのアプローチというか。

ーーあとはTalking Headsですよね。

志磨:アルバムの制作が始まったのは去年の3月くらいなんですけど、その頃からいろんな人に言いふらしてたんです。「次のアルバムはTalking Headsみたいな感じでやるから」って。ちょうどその頃に『ストップ・メイキング・センス』が渋谷の映画館で始まって、「すごい! もしかして、Talking Headsのブームが来るのか?」と思ったり。まあ、そんなものが来るはずもないんですけど(笑)、シンクロニシティというか、いろんなことが重なってたんです。しかも同じ時期に「最近、POLYSICSがTalking Headsみたいな曲をやってるらしいよ」という話を聞いて。そのときは「やばっ! カブった!」って思ったんだけど、「ハヤシさんにドレスコーズでも弾いてもらえればいいんじゃないか?」って。

さらに在日ファンクのホーンセクションに参加してもらって、一郎くんが来れないときにScoobie Doのナガイケジョーくんに弾いてもらって。METAFIVEのゴンドウトモヒコさんにもアレンジャーとして参加してもらったし、本当に理想的な環境でしたね。とにかくハヤシさん、吉田一郎くん、ビートさとしくんという布陣でレコーディングできたのが、このアルバムのいちばんの勝因でしょうね。ハヤシさんも(イチローくん)も曲が書けるし、アレンジもできるじゃないですか。だから、ストレスが一切なかったんです。僕が作ってきたデモをもとに演奏して、「こういう方向にしよう」ってアイデアを出し合って……。

ーーセッション的な作り方だったんですか?

志磨:そうですね。「common式」「平凡アンチ」「規律/訓練」みたいなワンコードのファンクは、ほぼ即興です。「こういうアレンジにしたい」って説明しなくても、全員がすぐに理解してくれたんですよ。同じイメージを共有できたというか、想像していたものが一緒だったというか……うーん、いい言葉が見つからないな。どうして説明が難しいかというと、スタジオでほとんど話をしてないからなんですよね。実際に演奏すれば、修正する角度、その曲が向かうべき目的地がすぐに見えたので。2テイク目でほぼ形になって、「じゃあ、もう1回やってみようか」って3回目のテイクで完成するっていう。3テイク以上やった曲はほとんどないし、それはもう凄まじい集中力でした。

ーーすごい。当たり前ですけど、演奏の技術って大事ですよね。

志磨:うん、ホントに。みなさん素晴らしい演奏をしてくれたし、特にビートさとしを発見できたのは、ここ最近の喜びのひとつですね。彼はすごいドラマーですよ。昨今の海外のニューソウル、たとえばD’Angeloのドラマー(クリス・デイヴ)と肩を並べるような人だと思うので。彼のタイム感って、日本人離れしてるんですよね。前のめりでもないし、バックビートでもなくて、絶妙なタイム感で演奏できるので。いっぱい勉強させてもらいました、彼のドラムからは。よく思うんですけど、ロックバンドって、ビートに対してけっこう無頓着だったりするんですよ。「8ビートを速く叩ければいい」って思ってる人も多いし、肝心のグルーヴがほったらかしになってるので。どうしても迫力ばかり追求しちゃうんですよね、グルーヴじゃなくて。

ーー『平凡』のグルーヴ感は、2017年の日本の音楽シーンのなかでは完全に際立っていると思います。スタジオでの作業も高揚感があったのでは?

志磨:そうですね。エンジニアの渡部高士さんを含めて、いい緊張感がずっとあったし、「これはヤバいものが出来る」という確信もあったので。参加してくれたミュージシャンにはそれぞれにパーマネントなバンドがあるじゃないですか。でも、レコーディング中はこのアルバムにすごく思い入れを持ってくれていたし、「参加できて良かった」って言ってくれて。それも嬉しかったですね。

ーーちなみにゴンドウさんはどういう関わり方だったんですか?

志磨:この作品は“12曲でひとつ”というコンセプトアルバムなんですけど、なかでも象徴的な曲を選んで、アレンジしてもらったんです。「マイノリティーの神様」「人民ダンス」「エゴサーチ・アンド・デストロイ」「アートvsデザイン」の4曲ですね。

ーーゴンドウさんが参加しているMETAFIVEもニューウェイブとファンクの要素を持っているバンドだし、さきほど志磨さんが言っていた時代の潮流とも合致してますよね。

志磨:そうですね。それはミュージシャンだけではなくて、CDを聴いてくれてる人もそうだと思うんです。ぼんやりとした不安というか、「この先、僕らは知らないところに進んでいくじゃないか」という雰囲気はみんな感じていると思うので。たとえば「CDがない世界」とか。景気が良くなることもないだろうし、「僕らはどうなってしまうんだろう?」っていうのがどうしてもテーマになってしまいますよね。何となく「このアルバムは他人事ではないな」と思ってもらえてるのは、そういうところが理由なのかなって。

ーー時代を映すのもポップミュージックの大事な機能である、と。

志磨:はい。ラブソングは書けないですからね、いまの僕には。そんなことより「人類はどんな時代に向かうのか?」ということを考えるほうがおもしろいし、興味があるんです。20世紀と同じテーマの歌なんて書いてられないというか、時代の大転換期なんだから、それを歌わないのはもったいないでしょ。それもね、「自分が貢献した部分がない」ってことなんです。アルバムのテーマはこの時代が用意してくれていたし、たまたま僕がそれを音楽にしただけで。2016年、2017年の潮流が9割以上を作ってくれてますね、このアルバムは。

ーー時代の流れを掴んで、ピックアップできるかどうかが、アーティストの才能を決定づけるという言い方もできるのでは?

志磨:そこだけですね。調子に乗って自分のことをアーティストって言っちゃいますけど、僕らアーティストが努力するべきなのは、ピックアップする力だけなので。あとはノンビリと待ってればいいんですけど(笑)、いまはいろんなところで信号がビュンビュン飛んでますから。作品作りには事欠かないし、気は抜けないですね。

ーー歌詞の在り方も当然、変化してますよね。

志磨:歌詞って、どうしてもヒストリーとかドラマみたいなところに行ってしまいますからね。たとえば「メンバーが脱退し、ひとりになった志磨が問う、私小説的アルバム」とか。いまの言葉に音楽用語はひとつも入ってないですけど、何となく成立しちゃうじゃないですか。それは僕のバイオグラフィーであり、僕の文学なんですけど、「実は僕、ミュージシャンなんです」っていう。

ーー我々も作品の背景だったり、そこにある構造や物語に焦点を当てがちですからね。ともすれば、音楽そのものを置いていってしまうというか。

志磨:僕も私小説的なものが好きだし、悩みを文学にするのも好きですけどね。言葉の表現、ストーリーテラー的なこともやりたいんだけど、今回のアルバムのいちばんの達成はビートであり、アレンジであり、ミックスなんです。音楽作品としての強靭さが、このアルバムのすごさなので。だからこそ(歌詞のなかに)どれだけでも思想を乗っけられるんですよ。どれだけ情報を詰め込んでも、下半身がしっかりしてるから、頭デッカチにならないっていう。下半身がしっかりしてるのはミュージシャンのおかげだし、ホントに僕はちょっとしか貢献してないです。

ーーアルバムに込められた思想もいまの時代の写し鏡だとすれば、このなかに志磨さん自身は存在していないのかも。

志磨:そう! だからこういうジャケットのデザインになってるんですよ。これを見れば一発でわかりますからね、僕がやろうとしたことが。デザインしてくれたのはEnlighmentというチームなので、やっぱり僕は何もやってないです(笑)。

ーーシンクロニシティの洪水のようなアルバムですね、ホントに。

志磨:こういうアルバムはたぶん、3〜4年に1回しか作れないと思うんです。たまにあるんですよね。すべてが上手くいって、「自分は何もしてないけど、とてつもない作品が出来た」ということが。『平凡』はまさにそういうアルバムだし、作ってるときの多幸感がすごかったんですよ。制作中はずっと「ああ、今日もありがとうございます」って思ってましたから。ちょっとヤバいヤツでしたけど(笑)、このアルバムが作れたことはホントに良かったと思いますね。
(取材・文=森朋之)