この2月に今年最初のモスクワ出張をしたが、今となっては雪と雨に散々いじめられた以外の印象がない。

 現地のテレビでニュースを見ていても、ウラジミール・プーチン大統領の登場する回数はぐっと減っているように思えるし、CNNは相変わらず放映を認められていないのか、チャネルを見つけることができない。

 ホテルの近くにあったタタールスタン共和国資本の「Vahitre」という名の、オリジナルのお菓子が美味しかったスーパーは静かに閉店してしまった。

 閉店と言えば、私のアパートのすぐ側にあった超小型銀行2行も、その役目を終えたように、看板を下ろしていた。客が少なく、両替の時など時間が節約できるので大いに重宝した銀行だった。

今のモスクワは嵐の前の静けさ

 ある友人は、今のモスクワの様子を「嵐の前の静けさ」(за тише перед бурей)と言った。確かにこの先、何かが起こりそうな予感がする。この調子で静かな年末を迎えるとしたら、ロシアらしくない。 

 さて、日ロ関係についても12月15日、16日の両日行われた安倍晋三首相、プーチン大統領による日ロ首脳会談の後、これと言ってニュースになるような出来事は報道されていない。

 ロシアに比べると朝鮮半島の動きが南北ともに激しくて、報道の目はそちらに釘づけになっているように思える。だから、日ロ間にはニュースになるような出来事は起こってない、と思えそうだが、実はそれは早計というものである。

 今回は、日ロの底流をお伝えしたい。

 本年1月1日からロシア人の日本訪問ビザの手続きが簡素化された。

 業務用数次ビザの年数が3年から5年に伸びた、観光目的の入国ビザにも数次ビザが発行されることになった、自己費用での来日であれば、日本側に保証人を立てる必要がなくなった、というのが主な変更点である。

 外務省はこの変更を発表する際に、その理由として日ロ間の人的交流の活発化を期待する、と述べていた。いつもの空念仏に聞こえたというのが偽らざる筆者の気持ちであったが、最新のデータを見ると、外務省の読みの正しさを認めざるを得ない。

 本年1月1日から月末までの日本査証(ビザ)申請件数であるが、昨年の同時期に比べ、56%増となっている。特に学生や若い人の経費自己負担による旅行の申請が増えていて、また、業務ビザよりも観光ビザの申請が伸びているという。

 これまでは富裕層が旅行代理店のアレンジを通して日本旅行に出かけることが定型となっていたが、査証発給条件の簡易化で、個人旅行が事実上解禁され若い人たちの日本旅行ブームが始まったようだ。

活況を呈した日本語通訳セミナー

 ロシアの1月は実質的に半分が正月休暇で、物事は稼働していない。その中での査証申請数であるから、2月以降の数字にはよりはっきりと日本旅行ブームが感じられることだろう。

 2月17日、モスクワ大学日本センターで、伊藤忠商事モスクワ支店のドミトリー・ボロンツオフ氏による日本語通訳セミナーが開催された。

 このセミナーに70人を超える日本語通訳、学習者、そして研究者が集まり、関係者を驚かせた。

 筆者もボロンツオフ氏をよく知る1人としてセミナーを聴講したが、参加者の年齢の幅の広さ、真剣な眼差しに、日本語通訳業のどこにこれだけの聴衆を惹きつける魅力があるのか、自問自答してしまった。

 参加者の中には、筆者も親しくしているプロ通訳もいたので、セミナーが盛会な理由を質問してみた。その答えは以下のようなものだった。

 「日露経済交流は今までになかったような良好なステージにある。また、今年は日本発の公的経済プロジェクトもかなりの数がロシアに入ってくるうえ、民間レベルの経済交流も中小企業の参加を得て、活発化すると聞いている。当然通訳の需要も増えるはずで、皆さんはそのあたりの情報を得て、今日のセミナーに参加されたのだと思う」

 このセミナーでのボロンツオフ氏の指導は、日本語という言葉を教えるという立場からは離れ、日露通訳の現場での通訳としての立ち振る舞いについて、自身の経験をベースに後輩を教えるというユニークなものであった。

 モスクワ大学で日本語を専攻しているという女子学生に聞いたところ、自分に不足しているのは日本語の知識ではなく、まさにボロンツオフ氏のようなプロの現場経験だと、この夜のセミナーを絶賛していた。 

 モスクワ大学日本センターの浜野道博所長によると、日露間における実務の架け橋を自任する日本センターにとり、このような通訳講座はまさに目的に沿うものであるから、この日要望が多かった通訳実務講座の開講も考えたい、ということであった。

ロシアに期待する日本の中小企業

 筆者自身の話で大変恐縮だが、本年初めからジェトロ(日本貿易振興機構)の「ロシア展開支援事業」ビジネス支援専門家という肩書をいただいて、ロシア進出を希望する全国の企業を回らせていただいている。

 この事業は、昨年5月に安倍首相がプーチン大統領に提言した日本による対ロ協力8項目の中から、「中小企業交流の促進」「ロシア産業の多様化促進と生産性向上」の2項目を取り出し、ジェトロをその主体としたうえで、日本企業のロシア展開をもって、目的を遂げようとする壮大なプランである。

 ジェトロによると、すでに90社以上の企業から関心が寄せられていると聞く。

 筆者自身すでにいくつかの企業を訪問して、感ずることがあった。それは、訪問した企業すべてが、規模の大小を問わず、過去にロシアとのビジネスを試みた経験を持つ企業だった、ということだ。

 これは大変大きな意味を持つ。もし、そのままビジネスが成功していれば、今、こうしてジェトロに支援を要請することはなかろう。また、その経験が理解を大きく超えた不条理なものだったとしたら、もうロシアなど見向きもしたくない、ということになる。

 しかし、筆者が訪問した企業は、何年か前の体験を、懐かしそうに語ってくれる。そして、「今度こそは自分がリーダーシップをとってロシア企業を指導したい」と言う。これがこの何年かの間に成長した日本企業の姿であり、海外事業への自信である。

 中小企業、中堅企業というカテゴリーは、今やどんな指標から見ても大企業に劣るものではなく、逆にロシアのような国ではフレキシブルな対応をしやすいのではないかと考えられる。

 そんな日本の中小企業がロシアにどのように受け入れられるか。まさに頭のひねりどころである。

 経済産業省、外務省は、本年7月にエカテリンブルクで開催される総合産業展「イノプロム2017」においてパートナー国という地位を得て、日本の産業力を会場のジャパンパビリオンに展示させるべく、現在出展者の募集を進めている。

日露経済協力の大きなうねり

 100社以上になると言われている参加企業に1人づつ通訳がついても、その数は100人以上。過去、ロシアでは経験したことのない通訳需要がそこに生まれる。

 会期中、ロシア人通訳は仕事を通して日本企業のPRをしつつ、自分もその企業の自信の源を知ることになる。

 パートナー国としてこの展示会に参加することを決めた両省の真意に、もし、この通訳効果が含まれているとすれば、この展示会は日ロ経済交流のまさに底流となろう。

 個人旅行としての日本旅行がブームとなり、日本語を学んできたロシア人にはいよいよ通訳という仕事に本格的に挑戦できるだけの仕事量が見え隠れし始めた。

 表面には見えてこない、まさに底流と言ってよい日露経済協力の大きなうねりがまずはロシアの地で始まったようである。

筆者:菅原 信夫