磐田での生活を「居心地はいい」と語る。クラブのために全力を尽くす決意だ。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

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――改めて今回の移籍について聞かせてください。ただ環境を変えればいいというわけではないが、という発言が印象的でした。
 
「スポーツの本質とも言える、サッカーをする喜びとか、信頼関係とか、美談っぽい言い回しだけど、スポーツマンとして大切にしてきたものがある。その大切なものを失わないために、F・マリノスの10番とキャプテンという立場から身を引く決断をせざるを得なかった。それをわがままだと言う人がいれば、そう言ってくれて構いません。ただ当事者にしか分からないことも起きていた。それについて言葉で表現するのは難しいし、今はまだできないのかもしれないけれど、そういった状況でベストの選択が、ここに来ることでした。サッカーであり、なにより人を大切にしている。それが磐田でした」
 
――サッカーの本質的なところを見つめ直すきっかけになったということですか?
 
「うーん。でも(事態に)出くわさなければ、それはそれで良かったのかもしれない。ただ、運命だと受け止めています。磐田とは縁を感じていますから。きっと見てくれています、サッカーの神様が。この歳になってサッカーに対する姿勢や考え方、そこをもう一度深く見つめ直す機会になったのは確かです」
 
――磐田でプレーして約2か月が経ちました。環境はどうですか?
 
「静岡はサッカー番組が多い。取材も多い。サッカーが身近なんでしょうね。この間はウナギ屋でお婆さんの一団に『あ、サッカー選手だ』と囲まれ、記念撮影しました(笑)。居心地はいいです。練習場のグラウンドはベスト。森に囲まれているのが海外っぽい。あと、F・マリノスもそうでしたが、ここにはとても優秀なトレーナーが揃っています。名波さんをはじめ、コーチのヒデさん(鈴木秀人)、マコさん(田中誠)とは代表で一緒にプレーしています。それに稔(小林)さんは、桐光学園高に入学した時に3年生だった先輩。僕が学校に朝早く行くと、必ず先にいたのが稔さんでした。誰よりも朝練をしている先輩が国体や関東選抜に選ばれるのを見て、これぐらいやらないといけないんだと模範にしていた方です。素晴らしい手本となる監督やコーチがいる。これ以上の環境はないでしょ? なにより、そのスタッフの人たちが選手に近い感覚を持っているのは大きい」
――チームメイトには、中村選手から積極的に声を掛けるようにしているんですか?
 
「『いろいろ教える人』みたいな位置づけになっているけど、選手自身にとっても、チームにとっても、何が良いかを考えると、接し方も変わってくるし、こちらからなんでもかんでも言葉にする必要はない。特に、深く考えてプレーしている選手には、あえて何も言わないほうがいい。そういう時こそ見守るべきだし。それに自分の言うことがすべて正しいわけではない。ただ、何かを伝えたり、言ったりすることで、僕が学べることもある」
 
――その言葉の影響力については、中村選手の経験則にもよる?
 
「振り返ってみると、井原(正巳)さんから何か具体的なアドバイスをされたわけでもなくて、試合中に咄嗟に言われたひと言が強烈に心に残っている。『強くいけ!』って。当時10 代だった僕は相手に強く当たりに行かないとダメだと、言葉を額面どおりに受け止めていた。でもレギュラーになった頃から、その言葉の本当の意味が分かり出した。ただ激しく当たるというより、ふわっとディフェンスに行くなという意識のところを言ってくれていたんです。そんな風にふとしたひと言が何かのキッカケで心の底から響くかもしれない。ただ付け加えておくと……」
 
――はい。
 
「これはレッジーナ時代の同僚が言っていたんですが、『チームメイトは一番身近な敵だ』って。ライバルではなく敵。1年……いや半年で戦力外になる選手も少なくなかったし実際、セリエBに飛ばされるなんて嫌だ、と移籍を拒否していた選手がある日突然、ユースチームに落とされ、翌日にはロッカーがなくなっていた、なんてこともある。日本だったら信じられない話だけど、そういう世界も見てきましたから。もちろん、チームとして一丸とならなきゃいけない。でも、“敵”を蹴落として這い上がろうというハングリー精神もまた大切だと思う。ただ僕は磐田の、総力を合わせて全員で成長しようとするコンセプトに共鳴しているし、何か知りたければ気兼ねなく聞いてきてほしい。そしたら僕も忌憚なく話すスタンスでいるから」
 
取材・文:塚越 始(サッカーダイジェスト編集部)
※『サッカーダイジェスト』3月23日号(3月9日発売)より転載。