実子の長女(21歳)と、養子の次女(14歳)。

ふたりの娘の母親であるFP(ファイナンシャルプランナー)の中村芳子(なかむら・よしこ)さん。

40歳を前に二人目不妊に気づいた中村さんが、2歳の女の子を養子に迎えてから、今年で12年が経ちました。

2017年現在、年間に成立する特別養子縁組はわずか約500件。アメリカでは年間12万件が成立している現実に比べれば、養子という選択肢は、まだまだ日本では一般的ではありません。

いまだ身近とは言えない「養子」という存在について、経験者である中村さんにインタビューしていく全3回のシリーズ。前回、実子である長女が10歳の時に、2歳の女の子を無事に養子に迎えるまでのお話を聞きました。第2回では、「養子を迎えよう」と決めてから5年、ようやくスタートした絵梨子ちゃんとの生活、そして養子をめぐる日本の制度について聞いていきます。

第1回はこちら:母になったら人生終わりだと思ってた

初めて「ママ」と呼ばれた日

--2005年のクリスマスイブ、養子の絵梨子ちゃんを迎えて4人となった家族の生活。当時、実子である長女・友紀ちゃんは10歳、新しい生活は順調にスタートしたのでしょうか?

中村:クリスマスイブに絵梨子を自宅に迎える3ヵ月前から、私たち夫婦はずっと彼女に面会を続けていたんです。

「養子を迎えよう」と決めて東京都の養子縁組里親に登録して1年が過ぎ、やっぱり紹介ないのかな、と諦め始めた頃、「乳児院にいる2歳の女の子の里親に立候補しませんか?」と連絡を受けました。そして無事、里親候補に選ばれ、9月の終わりから3ヵ月の間、週に3、4日夫婦交代で、週末は家族3人で乳児院に会いに行っていたんです。

--いきなり一緒に暮らし始めるわけではないんですね。

中村:養子を迎える方法としては、民間の斡旋機関を利用するか、各自治体の里親制度を利用するかの2つがあります。私たちは後者にしました。その場合、「約3ヵ月間、施設に会いに行く」→「里親として約半年間一緒に暮らす(受託する)」→「家庭裁判所に特別養子縁組の申し立てをする」→「約半年で養子縁組が成立する」というステップを踏みます*。

*最近は面会のステップを踏まずに、乳児を受託するケースも少しずつ増えている。

--つまり「一緒に暮らし始めた」とは里親として受託したということなんですね。実際の生活はどうでしたか?

中村:「パパになついてくれない」「夜なかなか寝てくれない」「言うことを聞いてくれない」という問題はありましたが、それは実子でもよくあることですから、「久しぶりで忘れてたけど、育児ってこんなのだったな」と懐かしく思い出しながら乗り越えました。大変なこともあったけど、楽しかったですね。

--「ママ」「パパ」とすぐに呼んでくれたんですか?

中村:意外にあっさり呼んでくれるようになりましたよ。

受託してから3日目、12月26日のことでした。家族4人で動物園に出かけたのですが、帰ってきてから絵梨子が上機嫌で「ぞうさん」の歌をうたい始めたんです。

「そーよ、かあさんが、すーきなのよー♪」
「今“かあさん”ってうたってたけど、お母さんって知ってるの?」
「みのりちゃん(乳児院の子)にはいるよ」
「絵梨子ちゃんにはいるの?」
「いない」
「私、あなたのお母さんになりたいんだけど、いい?」
「いいよ」
「じゃあ、これからは“よしこさん”じゃなくて“ママ”って呼んでね」
「うん」

こうして無事に私は絵梨子の「ママ」に、夫は「パパ」になりました。その後、時々「よしこさん」に戻ることがあると、当時11歳の長女が「ママでしょ」と訂正してくれました。

耐えがたい嫌悪感を抱いた理由

--それからは順調に?

中村:自分の中で変化を感じたのは受託してからひと月が過ぎた頃でした。生活のリズムができてひと息ついた頃、絵梨子に対してどうしようもない嫌悪感を抱くようになったんです。顔も見たいくない、声も聞きたくない、触りたくない。半径10メートル以内に近寄らないで!という感じでした。その時は、夫が全面的に面倒をみてくれました。

--育児ノイローゼのようなものですか?

中村:違いますね。実子の育児中もうんざりして、「もうイヤ! 逃げたい! 捨てたい!」と思うことはありました。でも、その感覚とは違うんです。娘という存在がアメーバのように、自分の体の細胞の隙間から入り込んでくるような感覚でしたね。

今から思えば、あれは臓器移植の拒絶反応みたいなものだったんです。移植された他人の臓器は、拒絶反応を乗り越えられたら、本当に自分の体の一部になります。あの嫌悪感は絵梨子を受け入れる一つのプロセスだったのでしょう。

--耐えがたい嫌悪感を「隠さずに外に出そう」と決めた中村さん。1週間ほどで嫌悪感はきれいに消えて、もとの日常に戻りました。

「そこまでして子どもが欲しいのか」という声

--養子を迎えるにあたって、周囲からの反対はありませんでしたか?

中村:あちこちからずいぶん反対されました(笑)。女性からも男性からも。

年上の男友達から反対された時は意外で、びっくりしました。面と向かって「そこまでして子どもが欲しいのか」と言われました。「うん」と短く答えました。

父からは「子どもは血のつながった親に育てられるのが一番幸せです、よく考えるように」と反対の意を伝える手紙を受け取りましたし、母は母で「自分からそんな苦労をしょわなくていいんじゃないの」と心配していました。

--中村さんはアメリカで生活していた時期もあるそうですが、やはり日本と海外だと反応は違いますか?

中村:まったく違いますね。スイス人とカナダ人の友人に「養子を迎えることになったの」と話したら、質問なんか一つもしないで、「Congratulations(おめでとう)!!!」と喜んでくれました。アメリカに住んでいる義母に話しても「わくわくしてる!!!」とまるで孫の誕生を待ちわびているかのような反応でした。

ですから、日本で「養子を迎えようと思うの」と話した時との温度差はすごく感じましたね。

「あなたは母親には向いてない」と言われて

--反対は予想していたとはいえ、なかに一つ意外な反対があったそうですね。

中村:はい。教会の牧師夫妻から反対された時はびっくりしました。「もうすぐ思春期に入るお姉ちゃんのことを第一に考えるべきだ」って。

また、ある方とはこんなやりとりがありました。

「養子を迎えて、あなた、仕事はどうするの?」
「保育園に預けて、仕事は今まで通り続けます」
「そんなの、養子を迎える資格なんてないんじゃない」
「……」
「もらったのに預けるなんて」

「あなたは母親には向いてないと思うわ」という言葉をぶつけられたこともありました。もともと家庭的なタイプではないんです。今もですが(笑)。

--かなりキツい言葉ですね。

中村:でも、前回話したように、養子を育てることも仕事を続けることもどちらも、私には大切な夢。やりたいことをやるのは、私にとって自然なことでした。家族を必要としている子の家族になりたいという強い思いもありましたし。

--今ではかなり変わってきているようですが、中村さんが養子を迎えられた頃は、親のどちらかが「専業主婦(夫)」であることを求められる場合が多かったとか。養子の方が実子より「育児に集中しなくては」というプレッシャーは強いのかもしれませんね。

中村:そうなんです、養子の場合は、なぜか親に「パーフェクトであること」が求められる雰囲気はありますよね。そのため、養子を迎えることの心理的ハードルがものすごく高くなっている。「完璧な母親、父親でないといけない」というプレッシャーが、どうしても実子を育てる時より強くなりがちだと感じますね。

でもね、100点の親になんて逆立ちしてもなれっこないんです。そしたら誰も親になる資格はない。

子どもを育てる以上、絶対に問題は起きます。いじめたり、いじめられたりするかもしれないし、万引きをする可能性あってある。最悪、殺人者になっちゃう場合もありうる。実子であれば、「自分の産んだ子だから」と受け入れられることでも、養子だと「養子だから、親の愛情が足りなかったから問題を起こしたんだ……」と周囲も親自身もとらえてしまうかもしれません。あってはいけないことですけど。

--実子の親はパーフェクトでなくてもいいのに、養子の親にはパーフェクトを求める。その傾向が、養子という選択肢のハードルを上げてしまっている側面もあるかもしれませんね。

中村:そう思いますね。日本で年間に成立する特別養子縁組はたったの500件。現在、不妊治療中のカップルは6組に1組、「養子を迎えたい」と希望するカップルは増えています。養子になるべき子も、養子を迎えたいカップルも大勢いるのに、制度だけが追いついていないんです。早く世の中のニーズに合うように制度が変わってくれたらと思います。

本当は産みたいけど、育てられないからやむなく中絶を選ぶ女性もたくさんいます。養子縁組は、中絶を減らすことにもつながるんです。

最終回となる第3回では、いよいよ絵梨子ちゃんを交えた親子インタビューを掲載します。親子となってからの12年を振り返り、今、それぞれに感じることとは?

ウートピ編集部