2016年に公開された「シン・ゴジラ」に続く、1954年に公開された怪獣映画の元祖「初代ゴジラ」では、怪獣という存在を手探りの状態で撮影するところからスタートしました。初めて「怪獣の俳優」となった中島春雄氏は、架空の生物である「ゴジラ」を演じるため、動物園のゾウやゴリラを参考に100kg以上あるゴジラスーツを着用して撮影に挑んだとのこと。そんな中島氏が、ショートドキュメンタリー専門のYouTubeチャンネル・Great Big Storyで当時の心境を語っています。

The Man Who Was Godzilla - YouTube

中島春雄氏は、初代ゴジラの着ぐるみを着て演技を行った俳優/スタントマンです。



「私は初代ゴジラをやった、中島春雄です」



第二次世界大戦後、俳優を目指していた中島氏は、東京の東宝の映画撮影所に出入りしていました。



中島氏は「七人の侍」などの映画で、スタントマンとして出演を果たしています。



「ちょんまげやっていました。刀持って。しょっちゅう切られ役ばっかりやった」と話す中島氏。



その後中島氏は、 本多猪四郎監督の映画「太平洋の鷲」に攻撃機航空兵役で出演。中島氏は、日本で初めて身体に火をつけるファイヤースタントを演じました。



「飛行機が燃えてね、人が飛び出してくる俳優さんがいるわけよ。それが僕なんです」



「それで本多さんが『あいつは元気がいいなあ。あいつは勇気がある人間だな』という風に思って、ゴジラを志望されたんじゃないかなあ」



その結果、本多監督率いる初代ゴジラ制作チームに会った中島氏ですが、「怪獣映画」というジャンルすらなかった時代であり、誰もが「どうやって撮るべきか」というゴジラの在り方を模索していたとのこと。



中島氏も初めて演じる「怪獣」という役割を果たすべく、自ら調査を行ったそうです。



「台本を見てね、どういうもんかわからないから、動物園行って調べたもん」



「50メーターだから、大きい方がいいなあと思って、ゾウとか、ゴリラとかね」と、中島氏は説明しています。



問題はそれだけではなく、戦後の日本で怪獣の着ぐるみを作るのは簡単ではなかったとのこと。



「材料がそろわないからね。ラバーとかいろんなもんがなくて。生ゴムなんかから作ったりして、100kgくらいの重さがあって」



「こんな暑いのに、重いのに、ライティングなんて触ってもちょっと熱いのに。額に汗流しながら、一所懸命やってましたよ」



そうして6カ月間の撮影期間を経て1954年11月に公開された映画「ゴジラ」は、観客動員数960万人の大ヒットを記録



「映画館行って見たんです。一番後ろの方で見ないで、かぶりつきで見てんの」



「観客の方をずっと見てた」



「(それを見て)『成功したよー』ってびっくりしちゃった。いやあ、うれしかったね、僕は」



このようにして初代ゴジラが誕生し、日本独特の「怪獣映画」の元祖となりました。映画制作としての業績の成功もさることながら、「核兵器の危険性」というメッセージを伝えることにも成功したわけです。その後も中島氏は数々の映画に出演し、合計で11体の怪獣のスーツを着て演技を行いました。



中島氏は現在87歳で、初代ゴジラの俳優を演じたことは、今でも誇りに思っているそうです。



「最後まで僕のゴジラっていうのは、フイルムに残っていますからね。記録に残っているからね。僕にとってはありがたいと思いますよ」