誰かとの意見の食い違いや物事の進め方・受け取り方の違いなどを感じたとき、何が正しいか、何が間違っているかを判断しようとして思考がザワザワすることがあります。
職場の人間関係やご近所付き合い、友人関係や恋人・夫婦関係に至るまで、誰かが自分にとって「普通」じゃないことや「理にかなわないこと」をしたり言ったりしたとき、ざわつく気持ちをどんな風に扱っていますか?
親しいほど、小さな指摘が大きな溝になる理由
意見や常識の違いを感じた相手が、職場やご近所付き合いなどのある程度の距離が必要な相手である場合、「普通はこうだよね?」とか「それって変じゃない?」などとざわつく気持ちが湧いてきても、グッとこらえたり受け流すことができたりするようです。
でも、相手が恋人や夫婦関係、家族関係などのごくごく親しい間柄である場合、自分の意見をストレートに相手に訴えたり、または「それって違うんじゃない?」と責めてしまう状況が起きやすくなります。特に親しい間柄では、お互いが頑固になりやすいため、はじまりは「ちょっとした指摘」だったのに、気づいたらいつの間にか激しい口論・大きな溝になっていたりすることも。
その背景には、相手に常識や正しいことを教えてあげたいー。そんな親切心以外にも、じつは自分の正しさを証明したい、自分の常識の価値を伝えたいという思考の意図が隠れています。私たちが持つ思考機能の仕組みが、大きく影響しているのです。
思考の影を知り、視野を広く持とう
思考は素晴らしい機能を持っています。問題解決をしたり、素晴らしいアイディアを思いついたり、複雑なチャレンジを乗り越えるための情報を集めたり、物事の善悪を判断したりなど。思考は論理的に物事を捉え、ゴールに向かって合理的に処理していくことを特技とします。また、思考は無駄なことや物事を曖昧にしておくことが苦手です。答えが見つかるまでいつまでもそのことを考え続けたり、意見の食い違いが起きたときに自分の正しさを証明したくなります。
思考の持つ機能はわたしたちが生きていく上で必要不可欠です。でも、影の部分も持ち合わせています。それは、つい自分の基準・データを物差しに、周りで起きていることを判断してしまう部分です。
そもそも、「これが普通」「それはおかしい」と考えるその基準には、人それぞれの育ってきた環境や個性、人生の経験が影響しているものです。皆が同じように考え、同じ価値観や常識を共有していたら、ある意味クローン社会に住んでいるようなもの。しっかり意識していないと、思考はそのことを見落としてしまいがちです。他人との「違い」を有りか無しか、正しいか正しくないかで判断して自分の視野を狭めてしまうという、思わぬ落とし穴に落ちてしまうこともあります。
物事の判断、心を通して考えてみる
一方で、心を通して判断しようとすると、物事の判断基準がガラリと変わることがあります。たとえば、春に狂い咲きするコスモス畑に遭遇したとします。思考はまず「こんな時期に咲くなんておかしい」と判断しますが、心を通して見ると、理屈はさておき「美しい」と感じることができます。また、何かの計画が思ったようにうまく進まない場合。思考で判断すると、「なんとかして計画通り実行しなければ」となりますが、心を通して見ると、「遅れているのにも何か理由があるのかもしれない」と捉えたりします。
人との繋がりやコミュニケーションでトラブルや食い違いが起きるときは、思考の活動を優先しすぎて、心を通して物事を見つめることを忘れてしまっていることが多いように感じます。じつは、心を通して物事を見つめることは、相手を思いやる以上に、自分自身を思ってあげることです。心に意識を向けると、「ここで常識や正しさにこだわる価値があるかな?」と自分に問いかけることができたり、「常に分析し続ける必要はないこと」や「個性の違いの面白さ」などに気づくことができます。
思考と心、両方を意識して判断しよう
思考は、放っておいてもほぼ勝手に走り続けるローメンテナンスの有能マシーンですが、心は、しっかりと意識をして見つめていないと鈍ってしまう、どちらかというとハイメンテナンスで繊細なパーツ。両方の機能を上手に使いこなすことでコミュニケーションが活発化し、楽しく明るくなっていきます。モヤモヤや行き詰まりを感じたら一度立ち止まり、心を通して見つめることを試してください。

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