五輪旗をふる青木区長

 五輪旗が都内と被災地を巡る『東京2020 オリンピック・パラリンピックフラッグツアー』の歓迎セレモニーが12日、東京・葛飾区の堀切水辺公園でもおこなわれ、スペシャルアンバサダーを務めるTOKIOの松岡昌宏(40)が出席。元パラリンピアンで、葛飾区役所職員の海沼理佐さんにパラリンピック旗を受け渡した。松岡は「被災地の方も笑顔になれるよう、全国みんなで盛り上げていけたら」と東日本大震災から6年が過ぎたものの、被災地への想いを忘れずに五輪を盛り上げていきたいと語った。

 イベントは、オリンピック・パラリンピックフラッグが、都内全62区町村と震災被災地を巡回するもの。昨年10月16日に清瀬市で始まり、葛飾区は44カ所目、この日はTOKIO松岡と、アンバサダーを務めるアテネオリンピック2004年女子水泳の金メダリスト柴田亜衣さん、北京2008年大会パラリンピアン・ボッチャの海沼さんが出席。松岡が海沼さんに、柴田さんが青木克徳区長にそれぞれフラッグを渡した。

 松岡は「この度、東京2020 オリンピック・パラリンピックフラッグツアーのスペシャルアンバサダーに選ばれまして、大変光栄です。メンバー5人、それぞれの地区でこうやってフラッグツアーに参加してきました」とフラッグツアーの活動を振り返った。

 また、「デビューしてから9月で23年が経つのですが、やっと(TOKIOという)名前の価値観というか、こういう名前でやってきてこのような場所に呼んで頂けたのかな、と思うと感慨深いです」とグループ名の有り難さを感じた様子。

 アンバサダーの柴田さんは「私がオリンピックに出場したのが、もう10年以上前のことなのですが、今でもはっきり覚えています。選手としてオリンピックはとても大きな大会です」とオリンピックが選手にとって大きな意味を占めることを振り返りつつも、「しかし、引退して色んな大会を世界中で観させて頂くと、そちらの記憶の方が大きいです。競技場の外でも、地元の人が一緒になって盛り上がっているんですね。それを見た時に『ああ、選手だけの大会じゃないんだな』と実感できたんです」とオリンピックが選手だけではなく、周りも巻き込んで盛り上がっていく大会であることを感じたという。

 さらに、柴田さんはアテネ大会で獲得した金メダルを持参し、「獲れるとは思わなかった」と自身でも信じられなかった当時を思い返した。

 五輪旗を受け取った青木区長は「もうオリンピック・パラリンピックまで3年あまりと迫ってきました。日本全国で盛り上げていかなければならないと思います」と呼びかけ、「前回の東京大会時(1964年)は、私は高校生でした。陸上部に所属しており、競技場まで見に行きました。そこで米国代表のボブ・ヘイズ選手(男子100M金メダリスト)が活躍していたことを、今でも覚えております。2020大会でも、若い人たちが訪れると思います。葛飾区から盛り上げていきましょう」と1964年の東京大会の思い出を明かした。

 パラリンピック旗を受け取った海沼さんは「ボッチャの日本代表は今回3回目の出場だったのですが、銀メダル取れて本当にうれしく思います。テレビで放映されるようになって色んな競技が、その認知度を高めたと思います」と2016年ブラジル・リオデジャネイロ大会、ボッチャ日本代表のメダル獲得がパラリンピック競技の普及に大きく寄与していることを喜んだ。

 ボッチャは、ヨーロッパで生まれた重度脳性麻痺者もしく、は同程度の四肢重度機能障害者のために考案されたスポーツで、1988年の韓国・ソウルパラリンピックから正式種目となった。

 「ジャックボール(目標球)」と呼ばれる白いボールに向かって、赤と青、それぞれ6個のボールを投げる、転がすなどして、どれだけジャックボールに近づけられるかを競う競技。「カーリング」とその基本は似通っている。

 リオ大会を振り返り、松岡は「カヌーはこんなに大変なんだと思いました。団体競技がメダル多かったのは日本人の結束力みたいなものの強さを感じました」と語った。

 また、5歳から水泳をやっていたという松岡は「水泳はずっと観ていました。北島選手がああいう形で金メダル獲れたのは感動でした」とアテネ大会、2008年北京大会で100m・200m平泳ぎの金メダルを獲得した快挙を改めて褒め讃えた。

 最後に松岡は「11日で、東日本大震災からまだ6年しか経っていません。次オリンピックの年を迎えてもまだ10年弱。熊本の震災もありました。被災者の方も含めて、皆さんが笑顔になれるように、選手は最高のパフォーマンスを、僕らは僕らのできることをやって、全国みんなで盛り上げていけたら」と2020年への抱負を語った。(取材・撮影=松尾模糊)