キリンビールのロゴ(写真:ロイター/アフロ)

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 1994年以降、ビールの消費量は減り続けている。そこには、酒税を安く抑えることで低価格を実現する発泡酒や第3のビールがビールのシェアを食っているという背景がある。

 かつて、酒の席では「とりあえずビール」が合言葉のようになっていた。しかし、時代は変わった。「とりあえずビール」が聞かれなくなったばかりか、昨今のハイボールブームや焼酎ブーム、NHK連続テレビ小説『マッサン』の影響で人気急上昇中のウイスキーなどによって、アルコールは口にしてもビールを飲まない層が出現している。

 昨年10月に刊行された『究極にうまいクラフトビールをつくる―キリンビール「異端児」たちの挑戦―』(新潮社)著者の永井隆氏は、ビール業界を長らく取材しているジャーナリストだ。その永井氏は、現在のビール業界の衰退をどう見ているのだろうか。

「ビール業界の大きなターニングポイントは、94年の酒税法改正です。同法の改正によって、ビールメーカーが1工場あたりに義務付けられていた最低製造数量が年2000klから年60klに引き下げられました。それまでは酒税法の最低製造数量の規制があったため、ビール製造は資本力のある大手メーカーにしかできませんでした。

 そのため、キリンビール、アサヒビール、サントリー、サッポロビールの4社に加え、アメリカ統治下で生まれた沖縄のオリオンビールによる寡占状態にあったのです。これら5社しか存在できなかったビール業界の状況が、酒税法改正で一変しました」(永井氏)

 最低製造数量が引き下げられたことで、中小企業でもビール製造への参入が可能になった。こうして、全国各地で地ビール生産が始まり、地ビールブームが巻き起こる。中小企業のみならず、まちおこしを考える地方自治体なども第3セクターを設立するなどして、地ビール生産に取り組んだ。一時期、地ビール製造は300社以上が林立するほど過熱する。

 やがてブームは終焉したが、いまだに地ビールを製造する会社は全国に200社以上も存在する。そして、いつの間にか地ビールは「クラフトビール」と名を変え、2013年頃より再び緩やかなブームとなる。

●勝ちながら弱くなっていったキリンビール

 同書は、そんななかでクラフトビール専門店「スプリングバレーブルワリー」を開店するために奔走するキリン社員の挑戦を描いたものだ。ビール業界は装置産業の代表格であり、個人の嗜好に合わせて少量生産するクラフトビールは、大量生産で成長してきたキリンのビジネスモデルをも否定することになる。

 では、彼らはいかにしてそのプロジェクトを成功に導いたのか。詳しくは同書に譲るが、ビールの消費量が下がり続けるなかで地ビール、次いでクラフトビールがブームになったことは、業界的には一筋の光明ではあった。とはいえ、それ以前にビール再興のきざしがまったくなかったわけではない。

 サントリーが1989年に発売した「モルツ スーパープレミアム」(現「ザ・プレミアム・モルツ」)は発売当初こそ注目されなかったが、少しずつ人気を集め、2000年代後半には「プレミアムビール」という新しいジャンルを確立させるまでに至った。

 日本酒やワイン、ウイスキーとは異なり、ビール業界では定期的にヒット商品が誕生している。

 アサヒは、1987年に「アサヒスーパードライ」を発売。空前のメガヒットとなったスーパードライは、瞬く間にキリンのシェアを奪った。アサヒは「ドライビール」というジャンルを確立させ、さらにキリンから業界首位の座を奪取している。

 サントリーとアサヒがヒット商品を世に送り出して奮闘するなか、戦後長らくビール業界を牽引した王者・キリンはパッとしない。キリンは76年に業界シェア63.8%を叩き出し、国内に敵なし状態だった。我が世の春を謳歌していたキリンだったが、一人勝ちによって思わぬ副作用も生まれた。

 これ以上シェアを伸ばしてしまうと、独占禁止法に抵触してしまう事態に陥ったのだ。独禁法に抵触してしまえば、キリンは会社を分割せざるを得なくなる。

 そうした事情から、当時のキリンの営業マンは「売る」ことよりも「調整」することに努めた。「キリンは勝ちながら弱くなっていったのです」と、永井氏はキリン弱体化の理由を勝ち過ぎていた時代に求める。

 アサヒの後塵を拝し、首位を奪還できないままのキリン。それでも、発泡酒「麒麟淡麗<生>」(現「淡麗極上<生>」)や第3のビール「のどごし<生>」といったヒット商品を生み出した。また、微量にアルコールが含まれている従来の商品と違い、アルコール分0.00%をうたった「キリンフリー」は、ノンアルコール飲料の革命的商品として業界でも話題になった。それでも、キリンはビール業界の王者の座に返り咲くことはできない。

●「淡麗<生>」「氷結」の生みの親の無謀な挑戦

『究極にうまいクラフトビールをつくる』の主人公であるキリンの和田徹氏、田山智広氏、吉野桜子氏の3人は、同書で「異端児」と形容されている。彼らは、王者・キリンの復活を考えていたわけではない。単純に「うまいビールをつくりたい」という熱い思いから、ビール文化の復権、いわばビール業界全体について考えていたのだ。

 しかし、世間的には「ビールは、もはや時代から取り残された飲料」「オヤジが飲む酒」といったイメージが定着しつつあり、社内的にも3人の理想や意図は簡単に理解されない。

 一方で、3人が思い描くビールの復権というのは、何も時代錯誤なものではなかった。それまでもビール業界は、低価格の発泡酒や第3のビール、原料や醸造方法にこだわったプレミアムビールなど、あらゆる手を使って新たな市場をつくり出そうと試行錯誤してきた。

 そして、同書で描かれるプロジェクトの発案者である和田氏は、キリンの大ヒット商品「淡麗<生>」や「氷結」を世に送り出したヒットメーカーで、社内では誰もが名前を知る存在だ。「そんな天才・和田がやるなら、この荒唐無稽なプロジェクトも成功するかもしれない」……そんな空気が、キリン社内のみならずビール業界全体にも少なからず流れていた。

 和田氏は「これまでの日本のビール文化を変える場をつくる」と掲げ、キリンの異端児たちは、「大聖堂」と呼ぶブルワリーの開店に邁進する。同書は、その経緯を追ったビジネス・ノンフィクションだ。

「『大聖堂』は、2015年に『スプリングバレーブルワリー』として東京・代官山と神奈川・横浜の2カ所にオープンしました。事前の予想を覆し、来場者は目標だった年間20万人を超える26万人の大盛況となっています。3人の異端児が手掛けたビール文化を変える挑戦は、彼らが見込んだクラフトビール事業で着実に成果を出しています」(同)

 同書に詳述されているが、スプリングバレーブルワリーの出店には紆余曲折があった。社内は「キリンがクラフトビールをやる必要はない」と反対派が多数を占めた。また、出店場所を代官山に決めたときも、「代官山というオシャレな街にビールはオヤジ臭い」と反対する声も聞かれた。

 それでも、3人の異端児たちはクラフトビールに賭けた。人材と資金を集め、社内外を説得したことで、スプリングバレーブルワリーは想定をはるかに上回る人気を集めている。キリンは、17年秋に京都にも「大聖堂」を開店する予定だ。

●M&A失敗のキリン、苦しいビール業界の現状

 実際、クラフトビールの勃興によってビール人気を取り戻すことはできるのだろうか? その前途は、いまだ険しい。

 キリンは11年にブラジルのビール会社を子会社化したが、業績不振のため今年2月には売却することを発表した。この10年間、キリンは海外でM&A(合併・買収)に傾注してきたが目立った成果を出せていない。「ビール文化を変える」という大胆な挑戦の前に、足元が揺らいでいるのだ。

 しかし、苦しいのはキリンだけではない。高齢化や人口減少によって国内の市場は縮小傾向にあり、ビール業界全体が苦境に立たされている。同書の主人公たちは「ビール文化が変わらない限り、日本のビール業界に明るい未来はない」と語っている。

 日本のビール文化が変わり、ビールに明るい未来が訪れる日は来るのだろうか?
(文=小川裕夫/フリーランスライター)