14時46分、そしてキックオフ前には黙祷が行なわれた。特別な日に「サッカーをすることで被災した人々に少しでも笑顔が戻るように」と奥埜は語る。(C) J.LEAGUE PHOTOS

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[J1リーグ・3節]仙台 0-2 神戸/3月11日(土)/ユアスタ
 
「やっぱり特別で、いろいろと考えさせられる日。3月11日に試合を、しかもホームで戦えるのは滅多にあることではない。自分たちができることはしっかりと戦って勝利することだけだったので、敗戦は残念でならない。
 
 落ち着いてプレーしようと心掛けたが、ミスがかなり多かった。マンツーマン気味にマークに付かれ、トラップした瞬間を狙って身体を当ててきた。もっと動きに工夫をして剥がさないとダメだし、フリックとかも取り入れるべきだった」
 
 自身のプレーと0-2での負けを悔いた奥埜博亮は2011年当時、仙台大の学生だった。サッカー部のトレーニングの帰り道で本震が起こり、被災したという。
 
 14時46分、そしてキックオフ前。東日本大震災で亡くなった、あるいは行方不明となった方々に向けた黙祷が行なわれた。ユアテックスタジアム仙台を沈黙が包み込む。背番号7は、目を閉じ、何を想ったのか。
 
「まず当時のことを思い出した。それから、サッカーをすることで被災した人々に少しでも笑顔が戻るように、と」
 
 復興のシンボルに――。それは当時からクラブが掲げてきた強い決意だ。それを旗印にクラブは、指揮官は、スタッフは、選手は顔を上げて前に進んできた。自分たちがプレーすることで、勇気を与えられれば。悲壮さを纏い、戦い続けてきた。
 
「僕たちが与えられるのは、試合でみんなに送れるのは、少しのパワーだけかもしれない。それでも、サッカーが持つ力を信じて、何かを変えられたら……」
 
 あれから6年が経った。仙台ユースから大学生の道を選んだ若者は、プロとなり、多くの人間の視線を浴びながら、多くの人間の声を背に受けながらピッチに立っている。
 
 サッカーの力で何かを変えられる、サッカーをすることで笑顔を取り戻せる。奥埜は静かに、それでいて揺るがない決意を黙祷に込めたのだ。
 
取材・文:古田土恵介(サッカーダイジェスト編集部)