2011年3月11日に発生した東日本大震災から今日で6年が過ぎたが、被災地では今なお懸命な復興が行われている。資料写真。

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2011年3月11日に発生した東日本大震災から今日で6年が過ぎたが、被災地では今なお懸命な復興が行われている。震災当時、多くの支援や励ましの声が世界中から届いた。同年に行われた「第七回中国人の日本語作文コンクール」(日本僑報社主催)では、「がんばれ日本!―千年に一度の大地震と戦う日本人へ」が急きょテーマとして追加され、中国の学生から多くの温かい作文が寄せられた。6年前に思いをはせる今日、その中から一部をご紹介したい。

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■「頑張れ、日本―地震から自信へと」孫培培さん(青島農業大学)
「日本で、大地震が起こったらしいよ」。自分の耳も疑った私は、ひとまずネットで検索してみた。町や村が一瞬にして、破壊され、流れされていく動画が目に入った時、どうしても信じることができなかった。それから、私は毎日暇さえあれば、地震情報を確認した。ずっと大好きだったバラエティー番組も見る気がなくなり、地震情報ばかりが気になっている自分に気づいた。そして、寮のルームメートみんなが地震情報のマニアになってしまった。

「日本人って、今どうして生活しているんだろうね?」「そうねえ、本当にかわいそうだよね」「日本人に何かしてあげられないのかな?」「私、日本に友達が何人かいるの。ちょっとメールを送る」「私、毎年お年玉を貯めているけど、被災地に送りたいの!でも、どこへ寄付したらいいのかな」

みんなの話を聞きながら、私も懸命に考えていた。地震と戦っている日本人を応援してあげたい。もし大きな翼があれば、海を越えて日本に行き、日本人の力になりたい。しかし、私には翼などあるわけがない。この時、誕生日にもらった孔明灯(天灯、熱気球)を思い出した。それは、自分の願いを紙に書いて、孔明灯の中に置き、空に飛ばすと願いが叶うというものだった。「孔明灯を作ろうよ!」とすぐみんなに話した。「孔明灯は私たちの翼というわけか」とみんなも賛成してくれた。私は材料を買ってきて、みんなと孔明灯を作り始めた。赤、黄、青、色とりどりの紙に、「ニュース画像で心を痛めています」「日本にいる皆さんのことを心配しています」「日本人なら立ちなおせると思います」「頑張れ、日本!地震から自信へと!」とみんなの願いを書き込んだ。そしてロウソクに火をつけて空に飛ばした。孔明灯はきらきらと光りながら空高く飛んでいった。

日本の方々はきっと今回の災難を乗り越え、もっと頑張っていけると私は信じてやまない。飛んでいく孔明灯を見ながら合掌して、「頑張れ、日本!地震から自信へと!」と私は心の中で叫んだ。

■「心に桜の花が咲く季節に日本に行く」李金星さん(北京林業大学)
日本語能力試験一級に合格した褒美に、父は私の日本旅行を承諾してくれた。父は「日本に行くなら桜が咲く季節に行け」と言った。私もそのつもりで、首を長くして待っていた。しかし、思いがけないことに3月11日、日本の東北地方は大地震に襲われた。想像を絶する地震と津波の被害をテレビで目撃し、私は日本に行けるかどうかを心配するどころではなかった。

私が日本語科を志望する時、父は「お前は本当に日本が好きなのか?好きだったら好きだとはっきり言え。政治や理念や民族を超えて好きなら好きだと言える時がきたんだ。日本を好きになれないと、本場の日本語を身につけるのが無理だ」と念を押した。今、素直に日本が好きだと言えるのも父の影響であるかもしれない。

「日本が好きだ」というだけで、日本のためになにをすればいいのかを分からないまま、1カ月ほどの月日が流れた。4月9日、NHKのニュース番組で被災地である福島の小名浜で咲いた桜の花を見た。被災地に咲いたその桜の花は、震災で亡くなった人たちのための鎮魂の花のように思われたし、生き残った人たちのための希望の花のようにも思われた。過酷な環境の中でもくじけずに堂々と咲いている桜の花は、まさに地震と戦う日本人の姿でもあるように思われた。

今の私はできることを精一杯にやらなければならないと思った。私は日本地図を買って、東北地方を赤い色で塗った。中国では赤い色が縁起のいい色である。そして、東北被災地に新しい復興情報が入ると地名に桜の花の模様の切り紙を貼った。桜の花模様の切り紙の下には「仙台:4月13日、仙台空港再開。宮城:4月14日、震災後初のマグロ水揚げ。岩手:4月18日、岩手を含むトヨタ自動車の日本全工場が操業再開」などの復興の内容を書き入れた。私は今日も日本地図の前に立って手を合わせて祈っている。日本被災地の人たちの心に、一日も早く喜びの桜の花が咲くように。
(編集/北田)

※本文は、第七回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「甦る日本!今こそ示す日本の底力」(段躍中編、日本僑報社、2011年)より。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。