高山さんが建てた小学校と可愛い生徒たち(田中美久 撮影)

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 今回は、世界一周の現地リポートとしては最後となる東南アジア編。カンボジアでの滞在中の様子をお伝えします。

 カンボジアには13日間滞在し、そのうちの3日間は、タイとの国境付近に位置するタサエン村に泊まりました。ここでお世話になったのが、地雷撤去処理の第一線で活躍されている高山良二さんです。

 カンボジアには内戦時に埋められた地雷がいまだ400〜600万個残されています。タサエン村はポルポト政権が最後の砦とした場所にあり、いまだあちこちに地雷が埋まっています。地雷に汚染された農村地域は復興が遅れ、村人の多くは貧しい生活を送っています。そんなタサエン村に救いの手を差し伸べたのが高山さんでした。

地雷撤去処理の第一線で活躍される高山良二さん(田中美久 撮影)

 高山さんは陸上自衛隊に36年間勤務していました。1992年にPKO活動でカンボジアに派遣され、そこでカンボジアに対して特別な思いを抱くようになったそうです。日本に戻ってからも「カンボジアでやり残したことがある」という思いを抱き続け、自衛官を退職すると、すぐにカンボジアに渡りました。その後、高山さんはNPO法人IMCCD(国際地雷処理・地域復興支援の会)を設立し、約15年間、タサエン村を拠点とした地雷撤去処理活動に尽力しています。村人は高山さんのことを「ター」と呼び、親しんでいます。「ター」とはクメール語で「おじいさん」という意味です。

 高山さんの活動は、地雷撤去処理のみならず多岐に渡ります。いろいろな活動を見学させてもらいましたが、その中でも「支援とは本質を見据えたものでなければならない」という高山さんの言葉が印象的でした。支援における本質とは一体何なのか。なぜ本質を見極めることが必要なのでしょうか。

 地雷撤去の処理作業をする人たちはデマイナー(地雷探知員)と呼ばれ、貧しい家計を支えるために、村人たちが志願してメンバーになっています。選ばれた村人は、トレーニングセンターで訓練を受け、デマイナーとしてデビューします。

デマイナーの皆様と(田中美久 撮影)

 デマイナーは、2人一組が基本です。1人が雑草や木を地面ギリギリまで取り除き、後ろで待機していたパートナーが金属探知機でその場所を探知します。金属反応の音が鳴ると、緊張が走りました。この金属が何であるかを慎重に調べていきますが、この時が最も危険な瞬間です。今回は地雷ではなく手榴弾で、危険は無いとのことで胸をなでおろしました。

 

 その後、以前に撤去したという地雷を3つ誘発して爆発させ、処理をしました。火を付けてから爆発までの時間は3分。それまでに安全な場所へ移動しなければなりません。私はドキドキしながら離れた場所で見守っていましたが、しばらくして「ドッカーン!」と物凄い音を立てて地雷が爆発しました。とても危険な作業であることを痛感しました。

実際に地雷を見たあとに誘発爆発させる(田中美久 撮影)

 デマイナーの皆さんは、黙々と息の合った作業を進めていきます。高山さんとデマイナーの間には、確固たる信頼関係が築かれているようでした。高山さんの活動は、住民参加型地雷撤去処理活動と呼ばれています。デマイナーという雇用が生まれ、貧困が減り、地雷撤去のノウハウを身に付けた村人が自ら復興していくからです。

 「地雷撤去をするだけではいけない。ゴールはタサエン村の自立復興なのです。いずれ彼らは自分たちで平和を構築していかなければならないのですから」と高山さんは話しました。

 ある日、以前から井戸建設の要望があったという地域の視察へ同行しました。本当に井戸建設が必要なのか、実際に見て確かめるということです。地域を管轄する副郡長らと共に現場へ向かいました。タサエン村の中心部から現地まではおよそ2時間。現場に近づくにつれて、舗装されていないデコボコ道が見えてきました。

 がたがたする道の終点に辿り着いたのは、奥地にある貧しい村でした。副郡長によると、この村には150の家族が暮らしているとのこと。現地を一目見て高山さんは「ここは井戸建設が必要である」と判断し、要望に対してOKを出しました。村の人たちに声をかけ、皆で記念撮影をしました。現場視察は10分ほどで終了しました。

井戸建設要望があった現場を視察した後に現地住民と記念撮影(田中美久 撮影)

 現場を知ることが、本質を見極める上でとても重要なのだと話す高山さん。「本質を見極めて動けば、このように重要なことも短時間で終わらせることができます」。現場に足を運び、現地の人とコミュニケーションを取り、彼らにとって何が必要なのか、彼らが何を求めているのかを明らかにすることが重要であるといいます。

 

 井戸建設に必要な費用は、日本の支援者からの寄付により賄われます。「大事なのは、支援してくれる方と同じ目線に立つこと。支援金を貰うだけ貰って、あとは丸投げでは意味がありません」

 高山さんは常にカメラを持ち歩き、記録を残していました。支援者に報告をするために撮影しているようです。支援金の使い道やその後の報告を怠らないことも重要であると高山さんは語ります。

 高山さんが建設した学校を訪問しました。小学校に到着すると、子供達が高山さんの姿を見るなりゴミを拾い、靴を揃え始めたではありませんか。私たちが教室に入ると、元気な声で日本語の挨拶をしてくれます。彼らが教室の中に入る際には、「失礼します」と行儀良く挨拶をしています。とても驚き感心しました。

「失礼します」とお辞儀して入ってくる生徒たち(田中美久 撮影)

 高山さんは、この学校を建てる際、「ゴミを拾う、靴を揃える」という習慣を子供達に徹底することを村人たちと約束していました。「支援の本質はハードではありません。ソフトな部分を育てることです」と高山さん。

 建物を建てて支援を終了してしまうのは、ハードの側面しか見えていない中途半端なものです。「人を育てる」というソフトな部分に目を向けることが本質を見据えた支援になるのです。「援助をする側もだが、援助を受ける側にも責任がある」と考える高山さんは、支援を当たり前として享受させるのではなく、靴を揃えたりゴミを拾ったりというソフトな部分を徹底させているのです。

 生徒たちは皆素直で、輝くような素晴らしい笑顔で出迎えてくれました。高山さんが「TAKAYAMA」という文字を見せ、「読めるか?」と生徒に尋ねました。すると、2人中2人ともが正しく解答していました。2年前に同じ質問をした時は答えられなかったそうです。子供たちは教育を受け、着実に成長しているようです。

目を細めて「お前成長したなー」とニコニコ笑顔の高山さん(田中美久 撮影)

 学校の敷地内には高山さんが建設した井戸がありました。高山さん自身が実際に水を飲み、「うん、飲めるね!」と水質チェックをしていました。

 支援とは自分のエゴでするものでは決してありません。現場に入り、現地の人と同じ目線に立ち、問題を突き止め、ニーズを探ることです。現実を直視し、その中から本質を見極め、できることを1つ1つ着実に積み重ねていけば必ず結果が伴うのだということを、高山さんの活動を見て感じました。

 厳しくも愛情に満ちた高山さんの周囲には、村の人たちの温かい笑顔で溢れています。自立復興に向けて、タサエン村は少しずつ、しかし着実に歩みを進めています。

(田中 美久)