近くの高台から見た防災対策庁舎。盛り土のピラミッド群の谷間から、頭だけを覗かせていた

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東日本大震災震災から7年目。津波により宮城県南三陸町でも特に激甚な被害を受けた戸倉地区にかつての母の実家があり、叔父叔母はじめ二ケタの親類知人を亡くした筆者は、2月中旬にボランティアの一員として南三陸町を訪れた。そこで、避難者の保護と地域の復興のために獅子奮迅の働きをしてきた南三陸ホテル観洋の女将・阿部憲子さんや、「南三陸ねぎ」で復興を目指す期待の「よそもん」たちに話を聞いた。(取材・写真・文/ジャーナリスト 木原洋美)

明るくイメチェンした
紅白の防災庁舎

「あの震災遺構の補修工事が完了した」とのニュースを知り行ってみると、目に飛び込んできたのは、明るい紅白の塗装が施されたピカピカのオブジェだった。

 2月のことだ。

 東日本大震災の津波で町職員ら43人が犠牲になった南三陸町防災対策庁舎。

 報道では確か「震災直後の様子を再現した赤茶色の鉄骨が再び姿を現した」はずだった。補修工事費は約4340万円。

 しかし、実態は写真の通りだ。

「津波の恐ろしさを伝えるための震災遺構にしては、明る過ぎないか」――。

 防災対策庁舎を遺すか否かについては、住民間でさまざまな議論があると聞く。この色合いは、「恐ろしい体験を忘れたい」と主張する保存反対派への配慮なのかもしれない。

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