ホントは「共感」してないけど、「共感を示したい」女子たち

私が広告代理店に勤めていた20代の頃、その世代に向けて発売する予定の新製品について吟味するための「グループインタビュー」に駆り出されることがよくありました。それは実際の商品を前に、パッケージや使用感、値段、イメージなどについてあーだこーだと意見を言ってもらうというもので、その時の商品は美容成分を浸したいわゆるフェイスマスクだったと記憶しています。

まだ今ほどフェイスマスクが一般的ではなかった当時、その商品はある意味のエポックメイキングで、商品としての品質も悪くなく、頂いたサンプルを風呂上がりに顔にペタッとやって「こら気持ちええわ」と個人的にも思っていたものの、いかんせん値段が高すぎ。1枚600円。それは「ハイブランドの、人気の美容液と同じ成分の、月に1〜2度のスペシャルケア!」じゃなく「湿布のイメージが強い国内製薬会社のデイリーユース」みたいな商品で、つまりは1日1枚使ったら年間で219,000円で、2日に1枚でも10万円越え、1週間に1枚でも34,800円って、すごい高い美容液買えるしと計算した私は、会議室で代理店マンの「この製品を買うと思いますか?」という質問に、心の中で「ないないない、グルインで聞くまでもない」と自信満々に苦笑していました。

ところが。会議室の端から、「いいよね、買うと思う」と誰かが一言。え?と思ううちに、集まった20人ほどの女子たちから「いいよね」「使いたいかも」という小声がさざ波のように湧きあがったのです。「え、うっそ、マジで?」という心の声を、気づかぬうちに声に出してしまっていた私は、その場に広がる共感の輪を乱した大罪人のような視線を一斉に浴びることとなりました。

グルイン参加の女子たちが愛用したはずもなく、その商品がリニューアルするたびに値段が下がっていったのは言うまでもありません。そしてこの一連の出来事で私が学んだのは、女子の「共感を示したい気持ち」の高さです。それは実のところ何の気なし、空気を読んで乗っかいたいだけで、発した言葉ほど本気ではありません。というのも彼女たちは「共感を示したい」わけで、必ずしも「共感している」わけではないからです。その後の類似した様々な経験を通じてこれが真理だと確信した私は、さらに思ったのです――そもそもそういう「共感」って必要?

あの人のことを思い出すと、つい笑っちゃうエピソードがひとつある

さて今回のネタは『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』。主人公のエイミーは、両親の離婚をきっかけにいわゆる「モノガミー」(1対1の恋愛関係)を信じずワンナイトラブを繰り返す30代女子で、ヘビースモーカーの飲んだくれです。自分を投影して同じ名前のヒロインを書いた主演・脚本のエイミー・シューマーは、全然美人じゃないうえに、「LAじゃ脚に間違えられる」とご自身が言うところの太い二の腕をはじめ、どこもかしこもバーンとした堂々たるプラスサイズ。ぶっちゃけヒロインのエイミーい、憧れる〜!可愛い〜!もないし、生き方にも全然共感しませんが、なのになんでしょう、見終わった後にエイミーに感じる、どうにも捨てて置けない感情は。

思えばそれは、長年付き合ってきた友人に持つ感情に近いかもしれません。しょうもなさすぎ、アホで笑っちゃう、でもわからないこともない、憎みきれない、みたいなものが全部混ざり、明確に表す言葉は見つかりませんが、その人のことを思い出すとつい笑うエピソードがひとつかふたつは見つかる感じで、それがあるからこそ、必ずしも生き方や考え方に共感できないけえど「まいっか」と許せる、そしてきっと相手も、自分をそんな風に思っているに違いない関係です。

つまるところ人間は、共感なんかなくたってつながれるものなんですよ、本当は。だから共感したフリもしなくていいし、共感されなくても落ち込む必要はありません。相手の反応に関係なく、自分がしたければ「いいね!」すればいい。「共感を示すこと」を怠って去っていく人との関係や、「共感を示すこと」でしか所属できないコミュニティは、所詮あなたの一番大切なものにはなりえません。

私にも去年、「あなたはあなた、私は私」といくら説明してもさっぱりわかってもらえず去っていた友人がいましたが、まあ4月には、また新しい人との出会いもあるでしょう。

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