葬送の文化があるのは

ホモ・サピエンスだけではない



葬送する生物は人間だけ--。とは、葬儀の文化を伝える文脈でよく使われる言い回しだ。

しかし、ゾウは群れの仲間が死ぬと周囲に集まって花を手向けることがあるし、ボノボも家族の死を悼む様子が観測されている。少し事情が異なるが、幼少の頃に研究者から手話を教え込まれたゴリラのココは、死後の世界について「苦労のない、穴に、さようなら」と独自の見解を述べたとされる。ペットの仔猫が交通事故で死んでしまった時は、しばらくふさぎ込んで食事を取らなかったそうだ。

そんなわけで、死者を悼む感情や行為は決して人間固有のものではない。けれど、人類の葬送の歴史も相当古い。最古の埋葬の記録はおよそ7万年前。人類の亜種であるネアンデルタール人の遺骨とともに、花粉や牛の骨が発見されたものだと言われている。狩猟民族だった彼らは、仲間とのチームワークで大きな獲物を狙っていた。どんな死生観を持っていたのか具体的には知り得ないが、せめてもの手向けとして死んだ仲間に花やご馳走を贈ったのは確かなようだ。その想いがいまに伝わるのは奇跡といっていいだろう。

100年先まで残すなら

無機性の光学メディアか



翻って、現在に生きる我々が後世に何かを残したいと思ったら、どうすればいいだろう。特にデジタルデータを死後何年も残すなら、どんな媒体に記録するのが合理的なのか。ちょっと寄り道気味な導入になったが、今回はそこのところを考えてみたい。

デジタルデータをローカルで残しておくなら、HDDやSSDが第一の選択肢になる。これらの機器におけるメーカー保証期間を見てみると、だいたい長くて5〜10年である。これはあくまでメーカー保証なので、その後も状態が良ければより長期間にわたって保つということも十分考えられるが、せいぜい数十年スパンだろう。特にHDDは可動部が多いため、物理的な衝撃に弱い。それに定期的に通電しないと不調が出やすく、自己修復機能も生かせないので、寿命はさらに短くなってしまう。

それよりも確実性が高いのはBDやDVDなどの光学メディアに残すことだ(※)。経年劣化しにくい無機性ディスクなら、100年近くデータを保つことも不可能ではない。とりわけ長期保存をうたう「M-DISC」なら100年以上の保持も視野に入れられるという。ただし、光学メディア自体の需要が減衰していることを考えると、100年先には再生環境が簡単には手に入らない可能性もある。再生コストを考えると若干の不安が残るのも確かだ。同じく長期保存向きの磁気テープは、この不安がさらに強く残る。


▲ 米国Millenniata社が開発した長期保存用光学メディア「M-DISC」。写真は三菱化学メディアのブランド「Verbatim」で製造されているM-DISCのBD-R。5枚パックで税込2000円前後となる。

※ 編注:あくまで筆者の見解であり、保管環境によって状態が大きく左右されることをご理解ください

クラウドリスクを知らしめた

100年の計の企業「Evernote」



では、クラウドサービスに頼るのはどうだろう。

日進月歩が当たり前の業界なので、数年後ですら同じサービスが提供されている保障はないが、なかには「Evernote」のように、100年先までのビジョンを持ってサービス展開している企業もある。ただ、その「Evernote」も盤石といえないと分かる出来事が昨年末に起こった。

2016年12月、同社は機械学習の監督を目的に、社員が全ユーザーのノートの中身を閲覧できるようプライバシーポリシーを変更すると発表。同意できないユーザーには退会を推奨する強気な態度も相まって、たちまち世界中から猛反発を浴びることになった。これを受けて同社はすぐさまポリシー変更の見直しを表明し、自らの意志で許可したユーザーのノートのみを閲覧可能にする規約にすると約束。ようやく事態は沈静化したが、この出来事は、運営元の都合でルールが如何様にも変えられるクラウドサービスのリスクを、ユーザーに知らしめることになった。


▲ プライバシーポリシー変更の見直しを表明するEvernoteのリリース。2017年1月23日に予定したポリシー変更を中止し、自らの意志で閲覧を許可したユーザーのノートのみを機械学習技術向上のために役立てると明記している。

クラウドという「家の外」に置くと、100年後もデータは残っているかもしれないけれど、保存したときとはまったく別の形になっている可能性も否定できない・・・・・・。

死後のデータ保管計画を立てるのは、やはりなかなか難しい。なにしろ先のことは分からない。100年先に向けて何かしようというのもおこがましい話なのかもしれない。ただ、2100年や2200年のことを考えるのは、ロマンがある。

2014年6月、中央大学の竹内健教授らは1000年先まで保存できる半導体メモリの新方式を発表している。これが実用化されれば、西暦3000年頃のオーディエンスに向けて、語りかけることもできるようになる。ネアンデルタール人級の時間軸は無理でも、『源氏物語』や『方丈記』クラスならいけそうだ。紫式部や鴨長明は21世紀の日本を夢想したことはあったのだろうか?

文/古田雄介

※『デジモノステーション』2017年3月号より抜粋

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