今夜金曜ロードSHOW「塔の上のラプンツェル」毒親ゴーテルそんなに悪い奴じゃない説

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ディズニー映画50作目にして初の3Dプリンセス映画「塔の上のラプンツェル」(バイロン・ハワード監督、ネイサン・グレノ監督、2010年)。
2017年3月10日、21時から「金曜ロードSHOW!」(日本テレビ系)で本編ノーカット放送される。


閉鎖的な母娘の毒親問題


主人公・ラプンツェルは、とある王国のプリンセス。幼い頃にさらわれて、森の奥の高い塔で暮らしている。誘拐の犯人である女性・ゴーテルが、母親としてラプンツェルを育ててきた。
ゴーテルの目的はラプンツェルの髪の毛。ラプンツェルの髪の毛には、触れる者の時間を戻して傷を治す不思議な力があったのだ。ゴーテルは、その力を利用して自分の若さと美貌を保っていた。

物語の序盤、18歳の誕生日に塔の外に出たいと願うラプンツェルを叱るゴーテルが恐ろしい。

ゴーテル「モゴモゴしゃべるのはやめてちょうだい。私、そういうのほんと大っ嫌いなのよ! ……冗談よ! 可愛いわね、あなたのこと大好きよ!」

こどもの話の内容を聞かずに叱りつけ、戸惑った様子になるとすぐに優しい言葉をかける。
「外には危険がいっぱい」「あなたを守るため」と、こどもを大切に思っているようなことを言ったかと思うと「あなたはまだ赤ちゃん」「常識なんかゼロ」と馬鹿にして笑う。これを何度も繰り返す。
ラプンツェルを傷付けてコントロールしようとするゴーテルは「毒親」だと話題になった。

「毒親」は、精神医学者スーザン・フォワードのベストセラー『毒になる親(原題:Toxic Parents)』から生まれた俗語。
過干渉や過保護、暴力などによってこどもの尊厳を奪い、自立を妨げたり共依存関係に持ち込んだりと悪影響を与える親のことだ。
ゴーテルの言動がこの「毒親」の特徴にあてはまる。そのため「塔の上のラプンツェル」は毒親からの解放と自立がテーマだと解釈する人も多い。

塔に忍び込んできた盗賊フリン・ライダーとともに外の世界を大冒険するラプンツェル。その結果、毒親ゴーテルからの解放、自立を果たし、お城に戻って本当の両親と幸せに暮らす。めでたしめでたし……。
初めて見たときはそう思ったが、何度も見ているうちに「めでたしだろうか?」という疑問が浮かんできた。ゴーテルってそんなに悪い人かなあ。

ゴーテルは被害者でもある問題



ゴーテルがラプンツェルを誘拐したのには理由がある。
ラプンツェルが生まれる前、ゴーテルは「どんな病気も治す金色の花」を見つけた。その花の力を使って、若さと美貌を保ち続けていたのだ。
しかし、ラプンツェルの母親である王妃が病気になった。王妃の病を治すため、金色の花が摘まれてお城に持って行かれてしまったのである。ゴーテルが大切に守っていたのに!

金色の花が咲いた場所で花を守っていたゴーテルと、王妃の病気を治すためとはいえ自分のために花を摘み取ってしまった王様。
国の土地は王様のものかもしれないけど、花を「独り占め」したのはどちらかというと王様の方じゃないか?
ゴーテルは、花の力のためにやむを得ずラプンツェルをさらわなければいけなかった、と言えなくもない。

原作のグリム童話「ラプンツェル」には、ゴーテルのモデルである魔女がいる。
この魔女も、自分が育てた野菜をラプンツェルの父親に盗まれてしまう。それを恨んで、赤子のラプンツェルを連れ去るのだ(父親には了承を得ているので律儀)。

ゴーテルの毒親的な振る舞いは擁護できない。
でも、悪気はなかったとはいえラプンツェルの親はゴーテルの大切なものを奪ってしまっていた。
そう思うと、あのラストシーンがかわいそうにも思える。

ゴーテル男嫌い説



さらに気になるのが、ゴーテルが若さと美貌にこだわる理由。

酒場で天使の羽をつけたおじさんに「水もしたたるイイ女」と褒められたゴーテル。
喜ぶかと思いきや「やあねぇ、やめてちょうだいよ」と笑った後、おじさんにナイフを突きつける。
フリン・ライダーを追いかけるスタビントン兄弟にも媚びることなく、自分の利益優先の取り引きを持ちかけていた。

その後も、男にチヤホヤされるために若さにこだわっているような描写はない。むしろゴーテルは男が嫌いなのではないかと思えてくる。
ゴーテルが歌う曲「お母様はあなたの味方(Mother Knows Best)」が引っかかる。

歌の中で、ゴーテルはラプンツェルに「塔の外にいる危険なもの」を教えていく。
強盗、ギャング、漆(うるし)、台風、食中毒、オバケ、毒虫……。
そして最後にこう言う。「牙のある男」。
他が一般的な怖いもの、危ないものなのに対して、牙のある男だけがゴーテル独自の想像上の存在だ。

ゴーテルにとって男性は「牙がある」と揶揄するほど脅威的な存在に見えているのか。やはり男性に対して恨みや恐れを持っているのでは……というのは考え過ぎか。
映画でゴーテルから花を取り上げたのも、原作で野菜を盗んだのも男性だった。
愛するラプンツェルも男性に奪われてしまうのでは。そんな恐怖を感じていたのかもしれない。
その恐れはフリン・ライダーによって現実になってしまう。

スピンオフ求む!ゴーテルも救ってほしい



「塔の上のラプンツェル」では、ゴーテルは救われることがなかった。
同じように若さにこだわるキャラクターで、最後に救済があったのはジブリの「ハウルの動く城」(2004年)に登場した荒れ地の魔女だ。
荒れ地の魔女は若さと力に執着していて、優秀な魔法使いハウルの心臓をほしがる。
しかし、途中で力を失い老婆の姿になってしまった。そして、主人公ソフィーとハウルの家族として迎え入れられる。

荒れ地の魔女が力にこだわっていた理由の1つに、社会(国や権力)に認められたいという思いがあったはずだ。
みんなのおばあちゃんとしてソフィーたちと暮らす中で、荒れ地の魔女は、家族というコミュニティや年少者を導くことにも面白さを見出せるようになっていった。
幸福は国や権力に認められることだけではないと感じたのではないか。

もし荒れ地の魔女と同じようにゴーテルが老婆の姿になり、ラプンツェルとフリン・ライダーに受け入れてもらえたら?
それだと「毒親も実は良い人だから受け入れよう」というメッセージになってしまい、ややこしくなるから良くない。
「毒親」がテーマである限り、ラプンツェルのためにゴーテルはいなくなるしかなかったのだ。
うーん、それでいいのか。

映画「マレフィセント」のように、スピンオフとしてゴーテルのお話があったら見てみたい。
女性は若くなければいけないという呪いからの解放は、現代フェミニズムにとって課題の1つだ。
ゴーテルがどうして若さに執着するようになったのかを明かし救済するって、時代に合ったなかなか良いテーマになると思うのだけど。

金曜ロードSHOW! 「塔の上のラプンツェル」

(むらたえりか)