金正男暗殺事件に新展開(下)─捜査の現場で見た「非合法のインフラ」

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昨年まで私が所属した国連安保理・北朝鮮制裁委員会・専門家パネルが、2月27日、最新版の年次報告書を公表した。

度重なる制裁にもかかわらず、なぜ北朝鮮が核・ミサイル、通常兵器の密輸やマネーロンダリングのネットワークを世界各地に張り巡らせたのか、その実態が明らかにされている。それはまさに、「非合法のインフラ」だ。金正男暗殺事件の舞台となったマレーシアこそ、北朝鮮の非合法活動の主要拠点であり、機微な作戦に必要なインフラがそこにあった。

2016年7月、エリトリア向け軍事通信機材密輸事件

2016年7月、中東の空港で中国発エリトリア向けの貨物が押収された。45箱の貨物の中からは、高周波ラジオ、暗号化スピーカー・マイクロホンなど、軍事用途の通信機器類、カモフラージュ用バックパックなどが発見された。国連安保理・北朝鮮制裁委員会の専門家パネルはこの事件の概要を最新の報告書で説明している(http://undocs.org/S/2017/150, 72-87段落)。

航空貨物の送り主は、 ”Beijing Chengxing Trading Co. Ltd”(中国語名:北京成兴贸易有限公司)。同社の代表者は、裴民浩(Pei Minhao) 氏。彼は、北朝鮮の大手武器密輸企業・青松連合(国連安保理制裁対象団体)の中国国内の関係者として、筆者が国連時代に追跡していた人物である。青松連合は、北朝鮮のインテリジェンス機関・偵察総局の管理下にある。

押収された貨物から、「グローコム社(Glocom)」のロゴマーク付きの軍事用通信機器が見つかった。この企業は、クアラルンプールに連絡先住所を構える、北朝鮮偵察総局のフロント企業とされる企業だ(昨年、筆者がグローコム社の連絡先を訪問した際の状況については2月24日の拙稿を参照:「金正男暗殺で動いた、東南アジアに潜伏する工作員たちの日常」)。今回の密輸事件には、マレーシアと中国にある、偵察総局のフロント企業2社が関与している。

押収されたエリトリア向け軍事通信機器の写真

出展:国連専門家パネル2017年度最終報告書、P.33

国連専門家パネルの報告書によると、この在マレーシアの「グローコム社」は、平壌の北朝鮮企業「パン・システムズ社」のフロント企業とされる。さらに、この北朝鮮企業は、シンガポールにある同名の「パン・システムズ・シンガポール社」とつながっている。

北朝鮮の偵察総局は、東南アジアの商業中心地・マレーシアにグローコム社を含む少なくとも3社のフロント企業を設立し、シンガポールの拠点も活用しながら、東南アジアをベースに世界各国へ軍事物資を密輸していたのである。後述するが、このネットワークは武器密輸のみならず、マネーロンダリングでも重要な役割を果たしてきた。

グローコム社については、2月27日、マレーシア警察がメディアからの問い合わせに対して、「そのような企業は存在しない」、との声明を発表している。

たしかに、グローコム社はマレーシアでは公式には登記されていない。しかし、ネットや国際展示会などで、同社は何年間にもわたって、公然と軍事用通信機器を宣伝・販売していた(写真は同社のHP、軍事通信機器・システムのカタログ)。国連時代に筆者は、マレーシア政府に何度も同社について公式に捜査協力を要請したが、ついにマレーシア政府からは何の協力も得られなかった。


普通の国であれば、非公然企業が軍事通信機器の宣伝販売をしていれば当然、取り締まり対象になるはずだが、マレーシア政府は北朝鮮のことなど気にもかけてなかった。先日、マレーシアの副首相は、この企業を「捜査する」と述べていた。こちらからすれば、「まだ捜査していなかったのか」、と驚愕の思いである。グローコム社の関係者がまだ国内にいるだろうか。

「日本生まれ」の女「リャン」が売り歩いたモノとは――

一人の女性が途方にくれたように事務机の上を見つめている。そこには大量の米ドル紙幣とユーロ紙幣が積み上げられており、足下には現金を隠していた旅行鞄が2つ置いてある。彼女の後ろから二人の男たちが不安そうに成り行きを見守っていた…。

これは、2014年2月17日、クアラルンプール国際空港の警察執務室での取り調べの様子だ。彼女の名前は「リャン・ス・ニョ(Ryang Su Nyo)」。北朝鮮政府発行の彼女の旅券情報には、「1959年8月11日」の「日本生まれ」とある。


出典:国連専門家パネル2017年度最終報告書、Annex 8-8

彼女こそ、パン・システムズ社の責任者である。2名の北朝鮮人男性は彼女の部下だ。45万ドル以上の現金を無申告で国外に持ち出そうとして警察に一時拘束された時の様子である。しかし、程なく「犯罪性が認められない」として、彼らは釈放される。マレーシア警察が知らなかったのは、彼らの本業が北朝鮮の軍事通信システムの密売であり、非合法の現金持ち運びが日常業務だったことだ。

偵察総局の非合法のインフラはいかにマレーシアに形成されたのか。この経緯を分析すると、強まる国際社会の監視網から必死に逃れようとするリャンたちの姿が浮かび上がってくる。

リャンが所属するパン・システムズ社は、1996年頃、シンガポールの同名企業の「平壌支店」として設立された。シンガポールの「本店」はIT企業で、1990年代初頭から北朝鮮と緊密に商取引していた。しかし、その「平壌支店」の実態は、北朝鮮偵察総局のフロント企業であり、北朝鮮の「グローコム社」ブランドの軍事通信機器の輸出が本業だ。

リャンたちは、本店の看板を巧みに利用しながら平壌支店の事業を海外に拡張してゆく。やがて活動拠点を東南アジアに築くべく、商取引の中心地・マレーシアにターゲットを定めた。

そして、2005年11月。リャンは、同僚とともに、マレーシアの現地協力者3名と共同出資して、マレーシア国内に「インターナショナル・グローバル・システムズ社」(以下、「グローバル社」)を登記した。その後彼らは、この会社を拠点として、「グローコム社」ブランドの軍事通信機器の市場を開拓してゆく。マレーシア国内の防衛装備品国際展示会に参加(写真は展示の様子)したり、積極的にマーケティングを行い、顧客を増やした模様である。


出展:グローコム社のホームページ

やがて2009年頃、彼らは、グローコム社の拠点をマレーシアに本格的に移管したようだ。つまり、「グローバル社」というフロント企業を利用して、「グローコム社」をマレーシア企業に育て上げたわけである。

グローコム社のホームページ情報によると、同社はマレーシア国内の「主要な顧客」を相手に軍事通信機器を販売しつつ、他方で中東や南アジアへの輸出を増やしていたという。これが事実であれば、マレーシア軍は、偵察総局のフロント企業の上顧客だったことになる。

国連安保理の中で、パン・システムズ社とグローコム社の名前が浮上したのは、2012年4月頃のことだ。当時、北朝鮮による銀河3号ロケット発射未遂事件を受けて、国連安保理で制裁強化策が議論され、その中で、両社の名前が制裁対象候補として挙がった。つまり、この時点で、両社はすでに関係諸国の当局の監視対象になっていた。

国際的な監視網が強まると、同年6月にリャンたちは、「グローバル社」を表向きには休眠させた。代わりに類似名の別のフロント企業、「インターナショナル・ゴールデン・サービシズ社」(以下、「ゴールデン社」)をマレーシアに立ち上げて、同社をグローコム社の新たな連絡先窓口に据えた。つまり、彼らは、フロント企業を「グローバル社」から「ゴールデン社」にすげ替えて、さらに「グローコム社」をその後ろに隠蔽。巧みにフロント企業を取り替えたのだ。

こうして彼らは国際的監視網から逃れるために、次々と類似名の企業を設立。フロント企業を増やしてマレーシア国内の拠点を防護しつつ、海外市場を開拓していたのである。

国連専門家パネルの捜査によれば、パン・システムズ社は、軍事関連物資の調達と販売のために、中国、マレーシア、シンガポール、インドネシア、シリアなどに工作員やフロント企業を配置の上、銀行口座も設けて国際金融システムへのアクセスを確保していた。同社は、欧米の金融規制をくぐり抜けて、米ドルやユーロによる国際決済を行いながら海外市場を開拓し、広範囲な非合法取引ネットワークを構築していた。

前述の通り、リャンたちは、マレーシア国内の銀行口座等から多額の資金を何度も平壌に送金している。また、マレーシアから現金を平壌まで持ち運んだことも一度や二度ではない。北朝鮮に対する国際的な金融規制が強まる中で、パン・システムズ社のマレーシアを中心とするネットワークは、北朝鮮にとってマネロンのための重要なインフラでもあった。

偵察総局と日本企業の間接的な接点

パン・システムズ・シンガポール社(写真は同社が入ったビル)は、平壌のパン・システムズ社の活動にどのように関与していたのか。国連専門家パネルの報告書では明確な記述はない。同社の社長は、リャンたちと定期的に面会し、連絡を取り合っていた模様だが、具体的な関係については明らかではない。



また、2011年に金正日主席が死去した際には、同社が哀悼の意を打電したり、2014年9月26日付けの朝鮮中央通信では、平壌国際貿易展覧会に参加中の社長がインタビューされるなど、北朝鮮との緊密な関係が覗われる。

このシンガポール社は1990年代から日本企業とも小規模ながら取引がある。日本企業が、知らずに北朝鮮の活動に間接的に貢献していた可能性は、少なくとも否定できない。昨年、筆者はこのシンガポール社を垣間見る機会を得たが、オフィスはがらんとしていて、社長と秘書しかおらず、応対にも奇異に感じるところがあった。「自分がビジネスマンならば取引は控えるかな」、と感じた次第である。

北朝鮮人が現地企業に密かに身を隠している場合、日本企業がその実態を認知するのは容易ではない。日本企業が知らないうちに北朝鮮とビジネスをしてしまうリスクは常に残る。東南アジアの中小企業と取引する際には、相手をしっかりと調べる必要がある。

東南アジアに巣くう闇

北朝鮮のネットワークが根を張っているのは、マレーシアとシンガポールだけではない。東南アジアのほぼ全域に北朝鮮工作員は潜んでいる。例えば、昨年、在ベトナム北朝鮮大使館の三等書記官と事務員が、国連制裁対象の北朝鮮金融機関の現地代表者として、国連安保理の制裁対象とされた。また、在ミャンマー北朝鮮大使も、武器密輸への関与が理由で、制裁対象とされた。

タイにおいても、以前、国連制裁対象企業がバンコク市内に活動拠点を構築していたが、その後どうなったのか、タイ政府の国連捜査への協力拒否のため、実態がわからない。カンボジアは北朝鮮人にパスポートを発行していたことが発覚したが、これまでに何名の北朝鮮人に旅券を発行したのか、隠している。そもそもこれまでに何か国が北朝鮮人に旅券を付与したのかすら、わからない。これでは、国連制裁など、ちゃんと履行できる訳がない。

東南アジア各国において、いったい何名の北朝鮮人がどの企業に隠れているのか、全体像が把握できないことは深刻な問題だ。

東南アジア諸国は、近年、ASEAN経済共同体として、域内のヒト・モノの移動の自由化ばかりを議論してきた。北朝鮮にとってもヒト・モノ・カネを容易に動かせるのだが、この問題はなぜか議題にすらされない。北朝鮮の非合法活動を野放図にした苦い帰結を、今、マレーシアは味わっている。

日本は、東南アジア諸国に対して、北朝鮮の動きを真剣に取り締まるよう、さらなる働きかけを行わねばならない。それこそが、彼らにとってもメリットになることを理解させなければならないのである。