txt:raitank 構成:編集部

On-Demand TVが制作するオリジナル・シリーズの隆盛

Hulu、Netfilx、Amazon Studioは、On-Demand TV(以下:ODTV)の御三家である。スタートアップ時には、いわゆるハリウッドメジャーの旧作が主なコンテンツだった各社は、やがて新作映画や現行TVシリーズの即時放映を行うようになり、今や『オリジナル』を謳う映画やドラマシリーズを制作するまでに成長した。

特にデビッド・フィンチャーを監督に据え、スタッフから機材まで全てをハリウッド・フィーチャー品質で「ハウス・オブ・カード(★9.0)」を制作し、シーズン1(全13話)を一挙公開して話題をさらった「Netflixオリジナル」は、今やODTV界のトップブランドである。

2016年秋現在145作品を擁するNetflixオリジナルの作品群には「デア・デビル(★8.8)」「ジェシカ・ジョーンズ(★8.3)」といったMarvelヒーローもの、実在の麻薬王、パブロ・エスコバルを材にとった「ナルコス(★8.9)」、「マトリクス」のウォシャウスキー姉妹監督が世界8カ国9都市でロケを敢行した超大作「センス8(★8.4)」、全米のTV関連の賞を総ナメにした化け物ドラマ「ブレイキングバッド」のスピンオフ「ベターコールソウル★8.8」など、必見の作品が並んでいる。

Amazon Studioも、現在14本(日本市場では)…と、本数は少ないもののオリジナル作品をラインナップ。作品数はNetflixより一桁少ないが、先ごろシーズン2が放映完了したSciFiスリラー「ミスター・ロボット(★8.7)」が、そこらのフィーチャーを軽く凌駕する内容と品質で国内外で話題である。またフィリップ.K.ディックの仮想歴史小説を原作に、リドリー・スコットが制作総指揮を務める「高い城の男(★8.1)」も大人気のうちにシーズン2も公開された。

映像コンテンツ制作における「新たな文法」の発明

上記作品名に付記した★印スコアは、Internet Movie Database(IMDb)での評価である。すべての作品が8.0以上。9.0近辺の作品もゴロゴロしている。IMDbユーザーならわかると思うが、これは異例の事態だ。評論家や批評家ではなく全視聴者の総意によって付けられるIMDbのスコアはかなりシビア。有名な俳優が出ていようが話題作だろうが、面白くなければ平気で6.0以下(=見る価値なし!)の烙印が押される。また分母となる視聴者数が増えれば増えるだけ、つまり作品が見られていればいるだけ評価は多くの人にとって納得できるものになっていく。

では、なぜ?ODTVスタジオ制作の「オリジナル」には高評価の作品が多いのか?それは、ネットという新たな戦場を前にしたODTV各社が、単に従来TVの常識や手法を水平移行する愚を犯すことなく、新時代のメディアと視聴スタイルに見合った『新しい文法』を創始・確立し、推進してきた証に他ならない。

ODTVが制作するドラマシリーズにも従来通り“シーズン”があるが、それはTVのクール(放映期間)とは無関係である。また1シーズンあたりのエピソード数にも制約がないので、尺合わせのための中だるみが生じる余地がない。TVや劇場での上映ではなくネット上での完全な選択視聴であることから、レーティング・システムの縛りを受けず、表現はストーリー最優先。物語の要請に応じセックス、ドラッグ、LGBT、なんでも遠慮なくブチ込める。さらに、そうして制作した作品はぶっちゃけ字幕さえ用意すれば、どこの国でも即時公開可能である。

つまり放映に関する時間と期間の縛りから解放され、配給や上映にまつわるコストを相対的にゼロ化する仕組みを土台とした、従来型TVドラマとフィーチャー映画の『いいとこ取りハイブリッド』こそがODTVの本質なのだ。またクリエイティブに関して言えば、連続TVドラマならぬ、じっくりと腰を据えた“連続フィーチャー映画”とでもいうべき高品質で長尺の作品作りを可能にしたことこそ、ODTVスタジオ作品の功績といって良いだろう。

「日本市場は特殊だから」とガラパゴス化してる場合じゃない

さて、ODTVの雄といえばもう一つ、いち早く日本市場への進出を果たしているHuluがある。Huluにも“Huluオリジナルドラマ”という独自シリーズがあり、Netflix、Amazon Studioとは一味違う特色として日本制作のドラマが多数ラインナップされている。た・だ・し。どれか一つ見ればすぐにわかるのだが、残念ながら上述した新しい文法が反映された作品は一つも見当たらない。どれも“よくあるTVドラマ”の枠を出ていないのだ。

IMDbを検索しても、大々的に『HollywoodxAKB48』が売り文句だった「Crow’s Blood」がかろうじて★8.7と高評価だが、それも分母である総視聴者数15人(!)による評価では意味がない。その他の「THE LAST COP/ラストコップ」「フジコ」「でぶせん」に至っては評価自体がない。つまり視聴されていない(というか海外ではリリースされていないのだろう)。

一方、同じくローカル制作コンテンツを視野に入れ始めたNetflixではグローバル配給を開始しているようだが、やはり日本オリジナルである「UNDERWEAR/アンダーウェア(★7.8/345人)」「火花(★7.9/123人)」「TERRACE HOUSE(★8.3/162人)」のすべてが、視聴者数ベースでせいぜい数百人程度にしかリーチできていない状況が数字に表れている(以上、視聴者数はすべて本稿執筆時点2016年10月初旬のもの)。

こうした論評に対しては「日本では日本人にしか通じない感性が」「外人は字幕を読まないから」ほか、いつものガラパゴス肯定リアクションが返ってきそうだが、本稿の主旨は決して「だから日本の映像コンテンツは…」という舶来ものを基準に据えた国産こき下ろしではない。そうではなく、良質なコンテンツを求めている海外ODTVプロバイダーの戦略を積極的に有効利用するだけで、自国のコンテンツをいとも簡単・安価・迅速に海外配給できる時代がもうココにあるんだゼ!という視点の喚起。そして、そんな時代に従来の方法論で日本のお茶の間仕様のドラマを作っていて本当にいいの!?という問題提起だ。

ODTVはメディアの多様化ではなく、パラダイムシフトである

かつて一桁しかなかったTVのチャンネルは、衛星放送〜ケーブルTV等の普及により、一挙に三桁にまで増えた。だが、それによってTVというメディアの視聴人数、あるいは視聴時間は10数倍に増えただろうか?答えは否であるばかりか、事実はむしろ逆である。

そして現在の『ODTVオリジナル』の台頭を読み解く鍵が、ここにある。Netflixが『TVドラマは毎週1話ずつ』という不文律を壊し、レーティングを無視し、連続フィーチャー映画を連発しているのは決して話題作りのためだけではない。「今までのTVにはできないことをやる!」という宣言は同時に、『従来のやり方では流出していく客を繋ぎ止めておけない!』という危機感の表れでもあるのだ。

1950年代、それまでの大衆娯楽の王、映画とは違う全く新しいメディアとして登場したテレビジョン。一から立ち上げられた“放送業界”には才能が集結し、生放送、中継、パーソナリティの登場、スポンサーCF、地域放送などなど、映画の世界には存在し得なかった概念と共に様々な試みが発明され、TVはその後の時代を形成する主要メディアとなっていく。TVが起こしたパラダイムシフトは王(=映画)の息の根を止めはしなかったが、やがておおかたの大衆にとって映画は『番組の一つ』となっていった。

2017年。今、僕らの眼前に広がるODTVの地平は、そんな映画からTVへの相転移に似た、いわば物理法則の違う別世界と見るべきである。過去に制作したプログラムを『番組の一つ』として提供・再利用するのは構わない。だが、新たに制作するローカル・コンテンツには新時代の文法に基づいた試み、発明、仕組みを全力で投入すべきだ。今、才能と資本を注入すべきはハードではなくソフト(コンテンツ)である。そして21世紀の映像コンテンツは、そのバトルフィールドをODTVに定めるべし!

※本コラムは昨年PRN magazineに掲載されたものを加筆掲載したものです。編集部