〔PHOTO〕gettyimages

写真拡大

■遺体の取り違え

東日本大震災で死んだ家族の遺体がまだ見つかっていないんです。ふと思うんです。もしほかの家族が自分の肉親の遺体だと間違えて葬っていたらどうしようって……。

あの時、遺体安置所に並べられていた遺体の中に傷んで誰が誰だか判別がつかない方が多かったからでしょうか、ふとそんなことを考えてしまうんです」

東日本大震災の遺族の1人にそう言われた時、私は心臓が止まるほど驚いた。なぜならば、私自身、実際に遺体を取り違えたという人物に出会ったことがあったからだ。そして、他にもわかっているだけで数件起きている出来事なのである。

ある家族が、別の人を自分の家族だと間違えて葬ってしまう――。

どうしてそういうことが起きたのだろうか。

〔PHOTO〕gettyimages

津波に飲み込まれた母

私がその家族に会ったのは、震災から2年目のことだった。

私は震災の年に岩手県釜石市の遺体安置所を長く取材し、『遺体 震災、津波の果てに』(新潮文庫)という本を上梓した(後に『遺体 明日への十日間』として映画化)。その読者であるA子さんからしばらくして連絡をもらい、三度お会いして話を聞いたのである。

震災当時、A子さんは30代だった。すでに実家のある海辺のB市を離れ、車で1時間ほど離れた内陸の町で働いていた。

3月11日の震災後、大津波が故郷のB市を襲ったと知った時、家は少し海から離れていたので大丈夫だろうと思っていた。だが、後で父親からこう聞かされた。

「たまたま、海の方の町に出かけていて、津波に飲まれた。俺は助かったんだけど、母ちゃんがダメだった」

その日、父親と母親は車に乗って、海の近くにある町へ出かけていたそうだ。運悪く、そこで地震が起きて津波が押し寄せてきたのである。

父親は間一髪のところで建物にのぼって一命を取り留めた。しかし、母親は波に飲まれて流されてしまった。津波がおさまり、父親は建物から降りてがれきの中を歩き回って母親を探した。

すると、すぐ近くでずぶ濡れになった彼女の遺体を見つけた。体には、特別大きな傷はなかった。だが、すでに息はしておらず、死んでいることが確実だったため、遺体安置所に運ばれることになった。

父親は肩を落とし、内陸の町に暮らすA子さんと、他県で働いていた息子のC男さんにそのことを報告したのである。

■遺体安置所で母親と対面

震災後すぐにB市の実家へもどった。そして父親と一緒に遺体安置所へ行ってみると、母親の遺体が横たえられていた。遺体の数が膨大であるため、火葬まで順番待ちをしなければならず、しばらく遺体安置所に置かれることになっているという。

父親、A子さん、C男さんは毎日のように遺体安置所へ赴き、母親に対面した。冷たく薄暗いところに何日も置かれているのがしのびなかったのである。

3人は遺体のそばにしゃがみこみ、体についた砂を拭き取り、頬や手のひらをさすり、顔を見て話しかけた。火葬の日まで、できるだけ長い間近くにいたかった。

それからしばらくして、火葬の順番が回ってきたことを教えられた。ついにお別れの時がきたのである。A子さんは家族みんなで最後のお別れをして、火葬場へと運んだ。

■母親の特徴と一致する別の遺体

火葬の後、母親の遺骨はお葬式をしてから、市内にある先祖のお墓に納められた。

父親は実家に留まり、A子さんは内陸の家へもどり、C男さんは他県の家へもどった。そして震災後の生活をスタートさせたのである。

ところが、それから1年以上経って、A子さんのもとにC男さんから連絡があった。彼はこう言った。

「姉さん、県警のホームページを見ていたら、母さんの特徴と一致する遺体の情報が掲載されているんだ。どういうことなのかな。ちょっと確認してくれないかな」

県警のホームページには、新たに見つかった遺体の特徴や遺品が細かく掲載されていた。

A子さんがそのホームページを確認したところ、たしかに母親と一致する遺体があった。体の特徴はすべて母親と同じだし、身につけていたとされる遺品も母親のものにちがいない。一体どういうことだろう……。

A子さんは実家の父親にも説明をした上で、県警へ連絡して相談をした。その結果、DNA型鑑定をしてみようということになった。そして家族全員分のDNAを採って検査をしてもらったところ、驚きの結果が出た。

県警のホームページに掲載されていた遺体こそが、母親だったのだ。つまり、自分たちが母親だと思って納骨した遺体は、まったく別の女性だったのである。

A子さんは、愕然とした。

父親は、流されて間もないきれいな遺体を見つけ、身元確認までしたはずだ。A子さんも、C男さんも震災後すぐに遺体安置所へ行って遺体を確認し、毎日顔をふいたり、話しかけたりしてきた。

最後は、柩に入れて顔を見てお別れもした。

それなのに、家族3人が、別人を自分の母親と見間違えていたなんて……。

A子さんはこう語っていた。

「母には申し訳ない気持ちでいっぱいです。母一人が苦しんで亡くなった。それなのに、自分たちは母と別の女性との区別さえつかずに埋葬してしまったんです。その間、母はずっと一人ぼっちで寂しい思いをしなければならなかった。悔やんでも悔やみきれません」

■かき乱された遺族の心

この話からわかるのは、震災の直後、どれだけ遺族が混乱していたかということだろう。

拙著『遺体 震災、津波の果てに』でも描いたが、震災の後に遺体安置所に集まった人々は誰ひとりとして平常心ではいられなかったはずだ。ある者は遺体にしがみついて慟哭し、ある者は魂が抜けたように呆然とたちすくみ、ある者は「なんで死ぬんだ!」と怒りをあらわにしていた。

拙著の取材で話を聞いた人は、こう語っていた。

「あの時は、ずっと宙に浮いているような感覚でした。しゃべったり、見たり、聞いたりしているんですが、すべて遠くで起きている出来事みたいだったんです。現実のことが受け入れられなかったんでしょうね」

多くの遺族はA子さん家族のように遺体安置所に置かれた遺体に会いに来ていた。死化粧をしたり、指輪を外してあげたり、服を着せてあげたりしている光景もたくさんあった。傍から見るかぎりでは、死を受け止めてできるだけ気持ちを抑えて向き合っているように見えた。

だが、遺族の心は他人にはわからないほど、かき乱されていたのだろう。A子さん一家が毎日遺体と対面していても他人を母親と認識してしまったように、目の前の人が誰だかわからないくらいの混乱が生じていたのかもしれない。それが遺体の取り違いという出来事を生んでしまったのだ。

こういう事態が起きてしまったのは、震災後すぐに見つかった遺体に関しては、DNA型鑑定をせず、遺族がそれと認めた遺体を引き渡していたためだ。警察にしても、まさか家族がきれいな遺体を見間違えると思わなかったのだ(遺体が傷んできてからは、DNA型鑑定によって身元を確認してから引き渡すようになった)。

私は一概に警察の過失だというつもりはない。むろん、遺族の注意不足を指摘するつもりもない。

重要なのは、こうした非常時では、A子さん一家のようなまさかと思う出来事が起こりえるということだ。それをきちんと想定した上で、遺体の引渡しを行わなければ、取り返しのつかないことになることもある。

A子さんは語っていた。

「母に申し訳ないという気持ちもありますが、それとは別に、取り違えてしまった遺体のご家族に対してもすまない気持ちでいっぱいです。私たちが間違えてしまったことで、そのご家族は1年以上もご遺体と対面することができなかったのですから」

こうした遺族の言葉を、しっかりと教訓として胸に刻んでおかなければならないだろう。

悲しみの底に引きずり込まれそうになりながらも、犠牲者を家族のもとへ帰したい一心で現実を直視し、死者の尊厳を守り抜く。知られざる震災の真実を描いた渾身のルポルタージュ。