1986年3月26日、東京体育館で行われた新日本プロレスとUWFの5vs5イリミネーションマッチ。全面戦争となる大一番で主役の座を奪ったのは、大ヒールでありながら正規軍の助っ人として参戦し、この試合がUWFとの初遭遇になる上田馬之助であった。

 プロレスには通常のシングル、タッグ戦以外にも、さまざまな試合形式がある。完全決着をうたったデスマッチや、選手の顔見世的なバトルロイヤルがその一例。また、長期の抗争アングルでは目先を変えて新鮮味をもたせるため、これまで変則ルールもたびたび採用されている。
 有名なところでは、新日と国際軍団の抗争におけるアントニオ猪木vsラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の1対3変則タッグマッチ('82年、'83年のいずれも国際軍団の勝利)。ほかにも猪木と木村は、ランバージャック・デスマッチや髪切りマッチなどで対戦している。

 また、目新しさということでは'83年、新日正規軍vs維新軍による4vs4綱引きマッチも記憶に残るところ。絡み合った4本の綱がリング上に用意され、つかんだ綱の両端が一致した選手同士が対戦するという、くじ引き方式だった。
 このときは坂口征二vsアニマル浜口(坂口のフェンスアウト反則負け)、前田日明vs長州力(長州がサソリ固めでレフェリーストップ勝ち)、藤波辰巳(現・辰爾)vsキラー・カーン(両者リングアウト)、猪木vs谷津嘉章(猪木が延髄斬りからのフォール勝ち)の組み合わせとなった。
 もちろん、事前に対戦者は決まっているのだが、くじ引きの偶然を装うことで藤波vs長州の“名勝負数え歌”の再現や猪木vs長州の頂上決戦を後回しにつつ、ファンの関心を惹こうという試みである。

 ほかにも変則ルールの試合は、相手チーム全員を敗退させるまで続くイリミネーションマッチや3人(3組)同時に闘う3WAYマッチなど多種多様だが、いずれにおいても勝負というよりゲーム性が高く、そもそも完全決着を目的としていないこともあって、いわゆる名勝負とはなりにくい。

 そんな中、今なお語られるのが'86年3月26日、新日vsUWF5対5イリミネーションマッチである。同大会では、当初、猪木vs前田がメインイベントとして発表されてはいたものの、これを猪木が「UWFリーグ戦を勝ち抜いた藤原に勝ったばかりで、なぜ2番手の前田とやる必要があるのか」と、前田戦の中止を宣言したことで急きょ決まったものだった。
 「これについて“猪木が逃げた”とする声もありますが、猪木の右腕だった新間寿氏は〈前田の取り巻きが猪木の腕を極めたら折ると言いふらしていたため、いまシュートマッチでやっても前田の将来に傷を付けることになる〉と、回避を決めたわけを著書に記しています。それに加えて、UWFとの抗争を長く続けたいとの考えもあったのでしょう」(プロレスライター)
 長州率いるジャパンプロレス軍は全日へ移籍。鳴り物入りで獲得したアブドーラ・ザ・ブッチャーは振るわず、マシン軍団も立ち消え状態。WWFとの提携も解消となり、当時の新日にとってはUWF以外に目ぼしい話題がなかった。

 発表された出場選手は、新日が猪木、藤波、木村健吾、星野勘太郎、上田馬之助。UWFが前田日明、藤原喜明、高田伸彦(現・高田延彦)、木戸修、山崎一夫。
 「メンバーで目を惹いたのは、これまでUWFと絡んでいなかった上田の存在でした。試合形式の珍しさとヒールの上田が新日正規軍入りした意外性への興味から、猪木vs前田が消滅したにもかかわらず、ファンからの事前の評判はおおむね良好。当日の会場も満員となりました」(同)

 試合のキーマンとなったのも、その上田であった。新日勢は星野、木村、藤波が、UWF軍は山崎、藤原が脱落していく。