未知の世界を切り開けるのは、その方法を身に着けた人材のはず。(写真はイメージ)


 ご存知の方もいるだろうが、日本では博士号取得者(ポスドク)の就職が非常に厳しい。2014年の調査では、100人のうち6人しか常勤の職にありつけていないという。

「包丁一本さらしに巻いて」という古い歌ではないけれど、自分の専門技術を生かして全国を渡り歩くと言えば恰好はよいが、3年程度の契約で次から次へと職場を変えなければならないというつらい状況が続いている。

 しかも職にあぶれている人があまりに多いものだから、給料の水準も下がっている。ボーナスもない。3年の契約が切れたら次を探さなきゃいけない。論文を書いて業績を上げておかなければ、次がある保証がない。いや、業績を上げていても採用があるとは限らない。非常にシビアな状況が、今も続いている。

ポスドクは「使いにくい」?

 日本のポスドクがシビアな状況に置かれている原因の1つに、「民間企業がほとんど雇わない」という現状がある。最近は民間企業も技術革新を進める必要があるので、研究者を抱えるところが多いのだが、博士号を取得した人を雇う例はまれ。大概、修士号を取得した若い人を採用することが多い。

 そうした企業の方になぜポスドクを雇わないのかを尋ねてみると、「使いにくいから」という答えが返ってくる。「専門家として長くやり過ぎて、他の研究テーマに変えるのを嫌がる」というのが理由なのだそうだ。

 その点、修士なら研究のイロハが分かり出した頃ではあるけれど、まだ「これが自分の専門」というものがないため、どんな研究テーマを与えても取り組む柔軟性があるのだと言う。

 このため、博士号を取得すると、大学など公的機関の研究職を目指すしかなくなる。しかしそれは100人に6人しかない狭き門。他の人たちは「包丁一本さらしに巻いて」全国をさすらい、一時雇いを続けざるを得ない。

 私は、民間企業も、そして博士号を取得済み、あるいはこれから取得しようという人たちにも、マインドセット(思考の枠組み)を一度リセットしていただきたいと思う。というのも、博士というのは、科学研究ばかりではなく非常に幅広い分野にまで応用可能な能力を身に着けた人だからだ。

ビジネスにも通じる“科学の方法”

 科学は「観察・推論・仮説・検証・考察」という5段階で進める方法を採っている。この方法は科学だけでなく、ビジネスにも大いに通じる方法だ。

 たとえば「千客万来の喫茶店を立ち上げたい」と考えたとする。そうすると、まずはよく流行っている喫茶店を訪問しまくって「観察」する。そしてお客さんの心をどうやってつかんでいるのかを「推測」する。そして「こういう条件を備えた喫茶店なら、確実に流行るのではないか」という「仮説」を立てる。そして実際に企画し、喫茶店を始めてみる(検証)。そして、実践の中で気づいたことから仮説が正しかったかどうかを「考察」する。

 仮説がどこか間違っていたと気が付いたら、再度、他の喫茶店と自分の喫茶店にどんな違いがあるのかを「観察」し・・・と、5段階法を繰り返し、仮説の精度を上げていきながら、喫茶店の業績を向上させていく。

 博士号まで取得した人というのは、この「観察・推論・仮説・検証・考察」という、ガリレオが実践の中で示した科学の方法をマスターしている。修士号だと、その入口のところで卒業してしまっているので、企業内で鍛え直さないとなかなか自発的には実践できない。しかし博士号を取得した人なら、自ら企画し、自ら実証するという黄金のパターンをマスターしている。即戦力なのだ。

 幸か不幸か、ポスドクとしてさまざまな研究機関を転々とするうちに、どんな研究テーマが与えられても柔軟に対応する博士だけが生き残っている。「自分の専門しかやりたがらない」という昔の博士のイメージとは、ずいぶん違っている。かなりの柔軟性と即戦力としての実力を備えたポスドクが多い。

 その点で、民間企業の採用担当者はマインドセットを一度リセットし、人物を虚心坦懐に見つめ直して頂き、ぜひ即戦力としての採用を考えて頂きたい。

博士とは“未知への対処法”を取り戻した人材

 他方、ポスドクとして頑張ってきた博士の方、あるいはこれから博士課程に進もうという勇気のある若い方々には、自らの能力が専門分野に限られたものではなく、ビジネスの世界に広く通じる能力なのだということに、自信を持ってほしい。というのも、実は科学の方法は、人間が乳幼児の頃から備える最も基本的な能力だからだ。

 うちの娘は0歳の時、親が黒い塊の出っ張りを押すとテレビなるものに映像が出る様子を「観察」し、「あの黒いのとテレビには何らかの関係があるのではないか」と「推論」し、「出っ張りを押せば映像が出せるのではないか」と「仮説」し、ついにリモコンに触るチャンスを得た時、迷いなくボタンを押すという所業(検証)に出た。その中で「テレビがついたり消えたりするボタンがあるらしい」という「考察」をし、さらに念入りに観察することで、リモコン操作の精度を上げていった。

 科学の方法は、子どもが言葉を習得していったり、技術を習得する際に自然と身に着けている学習方法でもある。子どもは言葉も十分に通じないから、見るもの聞くもの触れるもの、すべて未知だ。未知に対してどう対処するのか、という方法論が科学だが、子どもが自然に科学の方法に則って学習しているというのは、理に適っている。そして、未知に対しどう対処するのか、という課題は、まさに革新的技術を産むことと瓜二つなのだ。

 日本は小学校に入学してから大学を卒業するまで、「正解」の用意されたものを暗記することしかやらない。だから、未知への対処法を忘れてしまっている。しかし修士、そして博士課程を進むにつれて、未就学児が持っていた「未知への対処法」、すなわち科学の方法論を再習得する。それでいて、迷信までも信じかねない子どもとは違い、真実と虚偽を見分ける理性も磨かれている。だから即戦力たりうるのだ。

 民間企業は、博士を即戦力として見直し、採用することを考えてみていただきたい。他方、博士は、自分の専門にあまり拘泥せず、「自分のマスターした科学の方法論はありとあらゆる分野に通じるはずだ」という信念のもと、民間企業においても、柔軟に自分の未来を開拓していただきたい。

「子供の頃の柔軟性」と「大人の理性」を併せ持った博士が、大学の研究室だけでなく、民間でも大いに活躍する時代が来るのを期待している。

筆者:篠原 信