これまでの俳優人生を語った國村隼

写真拡大

 俳優の國村隼が4日、北海道夕張市で開催中の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2017」で行われたトークショー「俳優・國村隼 KOKOROの声」に来場、外国人監督に愛され続けてきた俳優人生を振り返った。

 國村が2016年に組んだナ・ホンジン監督の韓国映画『哭声/コクソン』(3月11日公開)と、同じく2016年にヴァンニャ・ダルカンタラ監督と組んだベルギー・フランス・カナダの合作映画『KOKORO』(日本公開未定)が同映画祭で上映されたことを記念して行われた本トークショー。國村の俳優人生を振り返りながら、彼の俳優としての魅力を1時間以上にわたって語り尽くすまたとない機会となった。

 1955年生まれの國村の出身地は大阪。「幼稚園の頃はお盆みたいな丸顔で。非常に愛くるしい子どもだったんですよ。これがだんだんと変わっていくわけですけどね」という國村。「小学4、5年生くらいから車が大好きになって。特に設計図がなんとも魅力的で。線を引く設計の仕事がしたかった」という國村少年の将来の夢は、車のエンジニアだったという。

 しかしその夢は破れ、時間を持て余していた國村は、「言葉は悪いけど冷やかし半分で」大阪放送劇団の研究生となる。そこで「(車とは)作るものが違っても、ひとつの芝居を作りあげるのは面白いな」と思うようになったという。そして23歳の時に、井筒和幸監督の『ガキ帝国』でスクリーンデビュー。その後はテレビを中心に活動していたが、「20代はクラブ活動の延長でもできますが、プロの俳優になるというのはどういうことだろう。自分がやりたいというだけでやっていていいのだろうか。これでお金をもらっていいのかと。悶々(もんもん)としていた時期だった気がします」。

 そんな時に『エイリアン』などで知られるリドリー・スコットが大阪を舞台に映画を撮るという新聞記事を見つけた國村は、オーディションに潜り込み、合格。それこそが大ヒット作『ブラック・レイン』だった。國村にとっても「リドリーが必要としてくれた。俺も役者をやってていいんだ」と思わせてくれる作品だったという。同作で共演した故・松田優作さんからは「俳優は、家のドアを一歩出たら観られているということを常に意識しろ」「主役をする時は余計なことをするな。サポートにまわる彼らに委ねろ。もちろんサポートにまわるときはお前が担ぐんだ。どの位置をやるかで違いがあるんだぞ」など、役者としての心構えをたたき込まれたという。

 そして『ブラック・レイン』をきっかけに香港映画のオファーが相次いでいた國村が東京に戻っていた時に、香港の友人から「明日香港に来られる? ジョン・ウーさんとチョウ・ユンファさんが久々にタッグを組むよ!」という電話が来た。あこがれのウー監督の仕事ということで、香港にすっ飛んだという國村。そしてウー監督は國村の顔を見るや「僕は君の顔が撮りたい」。それが『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』につながった。それから『殺し屋1』を観たクエンティン・タランティーノ監督も俳優・國村に魅せられたひとり。『キル・ビル』に登場するヤクザの親分役は、タランティーノのたっての願いで出演が決定したという。日本人俳優で、ここまで外国人監督に愛される俳優も珍しい。

 俳優としての信念は「基本はエンターテイナーであるべきだ」という國村。「お客さんに楽しんでもらうことを1番の目的としてやらなければいけない。お客さんが楽しんでくれたら、対価としてお金をいただくことができる。そういう意識を継続して持つのがプロの俳優というものだと思います」とその思いを付け加えた。(取材・文:壬生智裕)

「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2017」は3月6日まで合宿の宿ひまわりをメイン会場に、夕張市内の各会場で開催中