笑顔でオスカー像を披露する『ムーンライト』原案のタレル・アルヴィン・マクレイニーと監督・脚本のバリー・ジェンキンズ
 - Steve Granitz / WireImage / Getty Images

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 日本でも大きく報じられた通り、大騒動の中、幕を下ろした今年のアカデミー賞授賞式(以下オスカー)。キツネにつままれたようなエンディングだったため、授賞式直後は本当の作品賞はどっちだよ! というツッコミもチラホラあったほどだが、軍配が上がったのは『ムーンライト』。前哨戦レースで『ラ・ラ・ランド』の対抗馬として健闘していた超低予算&マイノリティー映画が受賞した。(文:よしひろまさみち)

 オスカー前は、この不安な世相から現実逃避し、ハリウッド黄金期を回顧した『ラ・ラ・ランド』のお祭り状態になるだろう、という説もあった。が、ふたを開けてみればじつに現実的、かつ理想的な結果となったと思われる。

 まず『ムーンライト』と『ラ・ラ・ランド』はほぼ対局にある作品といっていい。前者は黒人貧困層とセクシャルマイノリティーに光を当てた超低予算映画(製作費は約150万ドル・約1億7250万円)。後者は白人の中でも夢追い人というマジョリティーを主人公に、往年の名作にオマージュを捧げる中予算映画(製作費は約3,000万ドル・約34億5,000万円)。いわずもがな、どちらも映画人のみならず大衆からも大絶賛を受ける傑作だが、そもそものテーマ、予算などが対照的だ。圧倒的に目立つのは後者だが、昨年の大統領選から噴出しはじめた「不寛容な世相」に対するメッセージは前者の方が強烈。これまで人種差別問題を取り扱った作品が作品賞を獲得することはあったが、セクシャルマイノリティーを主人公にした作品には冷たかったオスカー。それだけに、最初の発表時に『ラ・ラ・ランド』の名が読み上げられたときは「またか……」と感じざるを得なかった。(1ドル・115円計算)

 というのも、2005年に『ブロークバック・マウンテン』が最多8部門候補となりながら、作品賞はおろか脚色賞まで逃したことを思い出して欲しい。あれから10数年。LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クエスチョニングまたはクィアの頭文字をあわせたセクシャルマイノリティーの呼称)には一見寛容でじつは厳しいオスカーが、ゲイを主人公にした『ムーンライト』に史上初の作品賞を与えた意味は大きい。そこから「どんなマイノリティーにも寛容に」というハリウッドのメッセージを感じることができたからだ。残念ながら、あの授賞式終盤のゴタゴタのせいで、それが目立つことはなかったが、この結果を受けた今後は、人種、セクシャルマイノリティーに限らず、あらゆるマイノリティーを描いた映画の製作の機会は増えるだろう。

 それだけではない。トランプ政権支持者の主たる層と言われる保守的な白人社会を舞台にした『マンチェスター・バイ・ザ・シー』や、リバイバル舞台版から6年経っての映画化となった黒人家族の人間ドラマ『フェンシズ(原題) / Fences』、宇宙からの知的生命体と意思疎通を試みるSF『メッセージ』など。例年のオスカーノミニーから考えると毛色の違う作品が多く候補入りしているのも見逃せない。

 オスカーは「実話ベース」や「フィクションでもオリジナル作品」が好まれ、「SF、ミュージカル、LGBTQ映画」は倦厭(けんえん)されるとされているが、前述3作、それに『ラ・ラ・ランド』と『ムーンライト』は例外的だ。トランプ政権下でなければ、おそらく作品賞は『ラ・ラ・ランド』当確で、実話ベースで興行的にも成功している『ヒドゥン・フィギュアズ(原題) / Hidden Figures』が対抗馬として注目を浴びたに違いない。だが、『マンチェスター〜』が描くどん底の白人、『フェンシズ(原題)』が描く保守的な家族観にとらわれた黒人、『メッセージ』が描く言語を超えたコミュニケーション。そして『ムーンライト』が描き出した、これまで映画界が光を当てることがなかった世界と、そこに取り残されたマイノリティーの姿。これらは、アメリカを覆い尽くす分断と不寛容に対して今一度見つめ直すべきだという問題意識の現れ、アンチテーゼともとれる。娯楽であると共に総合芸術である映画が、社会不安に対して問題を投げかけるのは当然のこと。多数派、もしくは政治に即した映画が評価されるようになったら、それこそ20世紀の暗い戦争時代に作られたプロパガンダに他ならない。多様性こそ映画の醍醐味であり、それを証明したのが今年のオスカーだったといえるだろう。