香港・雨傘運動の意外なその後 「学民の女神」周庭は20歳に

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2014年、香港の中心部がテントに占拠された「雨傘運動」を覚えている人は多いだろう。「学民の女神」と呼ばれた周庭は、20歳になった。彼女が語る「雨傘運動」は一過性の政治運動で終わっていなかった。

香港の「雨傘運動」のその後をご存じだろうか。2014年、香港中心部を市民たちが3カ月ちかく占拠した大規模な民主化運動で、警官隊の催涙弾に群衆がカラフルな雨傘で防戦する光景に、世界が注視した。

写真家・藤原新也もあの現場に立った一人だ。以来、「学民の女神」と呼ばれた周庭(アグネス・チョウ)との交流も続いている。昨年12月末、筆者、藤原、周庭は1年ぶりに新宿・大久保で再会した。

そもそも藤原はなぜ雨傘運動に興味をもったのだろうか。今更ながらそう聞くと、彼は「僕が初めて香港に行った1970年代半ばとは真逆だからだよ」と言う。40年ほど前、多くの若者に影響を与えたデビュー作『印度放浪』を発表した後、彼は香港を皮切りにアジアの旅に出たという。

「日本は政治の季節だったのに、香港の若者は驚くほど政治には無関心だった。話すのは、金儲けのことばかり。世界一のノンポリに思えたくらいで、中心軸のないぶらぶらした若者が多いように見えた。それが突然、今になって逆の事態が起きて、何なんだろうと思ってね。それでカメラを担いで出かけたんだよ」

話を聞いていた周庭が首を傾げた。

「香港はずっと政治問題があって、昔から民主派の政治運動は続いていましたよ」



日本のアニメを見まくって日本語を覚えた彼女は、96年生まれで、「90后」と呼ばれる新世代である。物心ついたとき、香港は中国に返還されていた。彼女が言う「民主派」は、89年の天安門事件以降に起きている北京政府への批判である。それが突如として大きな運動になったのは、「香港人」としてのアイデンティティを揺さぶられる事態が起きたからだ。

「私はオタクの中学生だったんですよ」。そう笑う彼女が、中高生による政治団体「学民思潮」に入ったのは2012年、15歳のとき。香港行政府が導入を試みた「愛国教育」がきっかけである。

「『中国国旗を見るときには涙ぐまなければいけない』など、中国本土なみの愛国教育が盛り込まれた国民教育法に、学民思潮は反対していました。それまで政治にはまったく関心がなかったのですが、フェイスブックで学民思潮を知り、参加したのです」

やがて彼女は壇上に上がりMCとして活躍する。9万人が参加する反対デモに発展し、国民教育法は撤回に追い込まれた。この活動が、のちの14年、普通選挙を求める大規模な「雨傘運動」に進展する。

「世界中の報道陣が集まったけれど、歯ブラシの束を撮ったのは僕だけだと思うよ」と藤原が笑うように、実は雨傘運動は日本人が想像する政治運動とはかなり異なる。語弊があるかもしれないが、「面白い」のだ。

学生たちに警官隊の催涙弾が打ち込まれると、テレビやネットでその模様を見た市民が続々と地下鉄で集まって学生の支援にまわり、一緒にテントで生活を始めた。歯ブラシの束はテントに寝泊まりをしていた市民が出勤前に使っていたものだ。



「市庁舎の女子トイレは歯ブラシだけじゃなくて、ヘアケア用品やハンドクリームもたくさん置かれて、私の部屋より贅沢でした」と、周も笑う。テントから出勤するOLも多かったのだ。藤原もこんなことを言う。

「日本の学生運動は男ばかりになっていったけれど、雨傘運動は男女半々。女性がいると、雰囲気が柔らかくなっていくんだよ」。テントには「自修室」と書かれた学生たちの勉強の場があり、教会もあれば、植え込みでは畑が耕された。香港返還時に中国が約束した「高度な自治」が、皮肉にも普通選挙を求める運動の場で繰り広げられたのだ。

あれから2年。運動は形を変えている。昨年、香港の国会にあたる立法会選挙に向けて、周たちは政党「香港衆志」を結成。被選挙権が21歳であるため、周庭や盟友の黄之鋒は出馬できない。そこで仲間である学生の羅冠聰を擁立した。

「事前調査では当選は難しいとされて、選挙戦の序盤は苦戦しました。しかし、最後の3日間で巻き返すように挽回していったんです」(周庭)

連日、周庭は街頭に立って、支持を訴えた。そして9月、羅冠聰は大逆転の当選を勝ち得たのだ。

若者たちの運動が社会全体を巻き込み、さらにそれを持続させている要因は、ネットを駆使しているのかと推測したが、必ずしもそうではない。メンバーたちの意思疎通は、対面による会話と何時間にも及ぶ議論である。周は、「メンバーとの会議こそ、勉強の場でした。毎日、新しい課題をみんなで考えるのです」と話し、こう言うのだ。

「だって、ネットで調べても、答えは出ないじゃないですか」

直接対面の議論を重視するのは、別の事情もある。

「私のGメールは、『国家級の攻撃を受けています』と警報が来たこともあります。電話の盗聴も当たり前に行われています。だから、重要な会議では携帯、スマホの持ち込みは禁止でやっています」

親中派市民からの誹謗中傷もあるが、周庭は「私は全然気にしませんよ」と笑う。一方、現在、立法会は中国政府からの圧力で、大混乱が続いている。

「羅冠聰は司法審査にかけられて、議員資格を失うかもしれないという状況にいます」と、周は言う。民主派は重要議決に拒否権が発動できる3分の1の議席を超えている。しかし、周庭たちの運動を「甘い」と見る過激な「独立派」が登場していることを、中国政府の全人代常務委員会が問題視。数人の民主派議員の議会での宣誓を槍玉に挙げて、二人の議員資格を剥奪した。

だが、周は、「香港人」であることを強調して、「香港人の未来は香港人で決めたい。だから、あきらめません」と、ひるむ様子がない。

「私はこれからも夢とか理想とか子供っぽいことを大事にして運動を続けたい。社会運動は理想的なものだから、変なルールには縛られたくないんです」

一緒に大久保の街を歩き、携帯ショップに貼られたポスターを見て、「やばい!(俳優の)佐藤健だ、やばいやばい」と騒ぐ姿は、日本にいる女子と何ら変わりはない。

今回、周は日本の大学での講演など、各地の若者たちとの交流で来日した。長年、日本の若者を撮り続けてきた藤原に、周が「日本の若者は?」と聞くと、「そうねえ」と藤原は考える。若者たちの姿から社会を見てきた彼は新しい世代に期待を寄せつつも、「疲れているよね」と言った。

「日本語で同調圧力という言葉がある。何にでも気をつかわなければならないんだよ」

空気を読む、というやつだ。周はピンと来ていない様子だった。大久保駅の前で藤原は彼女の肩を叩き、「じゃあ、またね」と別れた。残った彼女は再び「香港人」の未来を語り続ける。雨傘は閉じても、若者たちは確実に社会を動かしている─。

藤原新也◎1944年、福岡生まれ。写真家、作家。78年木村伊兵衛賞、82年毎日芸術賞受賞。『印度放浪』『東京漂流』『渋谷』など著書多数。最新作は父性を描いた小説『大鮃(おひょう)』(三五館)。