こだま『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)

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 話題の私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)の勢いが止まらない。13万部を突破と、文芸書としてはベストセラーと言ってもいい大ヒットとなっている。また、出版当初はそのインパクトの強すぎるタイトルゆえに難しいと言われていた新聞広告も、「書名は書店でお確かめください」と記載してタイトルをぼかすという前代未聞の荒技で朝日新聞など大手新聞にも掲載されることになった。

 しかし、本に対する注目度が上がれば上がるほど、著者のこだま氏はある恐怖に震えているという。

 いったいなぜ? その本題に入る前に、『夫のちんぽが入らない』とはどんな小説なのか、念のためおさらいしておきたい。

『夫のちんぽが入らない』は、主婦ブロガー・こだま氏による実体験をベースとした自伝的私小説。物語は彼女が大学に入学した年の春、後に夫となる彼と出会うところから始まる。順調に交際を重ねていく2人だが、初めてベッドを共にしたとき問題が起きる。本のタイトル通り、ちんぽが入らなかったのである。初体験の相手とは問題なくできたのに、夫のちんぽだけが入らない。ジョンソンベビーオイルを塗っても、激痛が走りシーツが血まみれになるだけでどうしてもダメ。それは結婚後も変わらず、結果として夫は風俗に、そして彼女は不倫に走るなど悩み苦しみながらも、最終的には2人だけの夫婦のかたちを見つけだしていくという物語だ。

 新聞に書名を載せられないタイトルとは裏腹に、読後は読んだ人が自分の家族観や夫婦観を再考するきっかけにもなる本で、生き方の多様性を肯定するそのメッセージには多くの人が勇気づけられた。

『夫のちんぽが入らない』は、決して邪な本などではない。では、なぜこの本が売れることを著者は恐れているのか? 「クイック・ジャパン」(太田出版)vol.130に掲載された写真家・植本一子氏との対談のなかで彼女はこのように語っている。

「今回の本の存在は夫も家族も知りません。できれば死ぬ間際まで言いたくない。私は嘘をついているんだな、って思います。こうして本が話題になればなるほど、自分の身が苦しくなる」

 もともと、こだま氏は自分がライターであることを夫や親に明かしていない。しばしばエッセイのネタに家族のことを書いているのにも関わらず......。しかもそのうえ、『夫のちんぽが入らない』という小説は、夫婦のベッドルームでのことをいっさい包み隠さず書き綴った本だ。自分のことはもちろん、夫が妻に隠れて風俗に通っていること、そこで性病をもらってきたこと、行きつけの風俗嬢に「キング」とあだ名されるほどの"モノ"をもっていることまで明かしている。夫の職業や住んでいる場所などは実際のものとは少しずらしているそうだが、周囲の人が読めば気づかれるほどしか変えていないようで、事実、旧友にはライターとして活動していることを見破られていたそうだ。

 実は、こだま氏は、本の出版当時から周囲、特に夫や親に自分の書いている文章を知られることに関して恐れを表明していた。「SPA!」(扶桑社)2017年1月31日号に掲載された松尾スズキ氏との対談でもこのように語っている。

「実はあんまり売れてほしくなくて。このタイトルにしたのも、下ネタが許されない厳格な家庭に育ったので、これなら親は絶対に手に取らないからバレないだろうという算段があったんです」

 また、自身のブログ『塩で揉む』には、発売直後に近所の本屋で起きたエピソードをこのように書き綴っている。

〈発売から1週間後、近所の書店に2冊だけ入荷していた。「こんな田舎じゃ当然置いてないだろう」と試しに覗いた程度だったので、高倉健さんの御本の隣で申し訳なさそうにうっすら光る「ちんぽ」を発見したときは変な声が出た。そして、手に取り「よくこんな僻地の潰れそうな本屋まで来たね」とねぎらった。地元の人間には読んでもらいたくなかったので、その2冊を買い占めようと思ったが、「すぐ売り切れたら、売れる本だと思われてもっと入荷してしまう」という話を聞いた覚えがあり、変に手を出さず流れに任せることにした。都会でだけ売れてくれ。そう願いながら棚に戻した。〉

 しかし、幸か不幸か、『夫のちんぽが入らない』は大ヒット。こだま氏は大きな注目を浴びることになった。そう遠くない未来、執筆業のことを知られる日が来るかもしれない。

 ただ、こだま氏は少しずつそういった煩悶を乗り越えつつあるようだ。「クイック・ジャパン」で連載している自伝エッセイ「Orphans」にてこだま氏は、こんな決意を綴っている。

〈私小説を出したことで私の人生が大きく変わってしまうのかもしれないし、今まで通りひっそりと続くのかもしれない。だけど、これから迎える春は、何もしてこなかった過去の春とは違う。
 自分のしてきたことを悔いたり、押し潰されたりするだろう。夫や両親を傷つけることになってしまうかもしれない。でも、私の今できることをした。ずっと言えなかった気持ちを一冊のどうしようもないタイトルの本に詰め込んだ〉
〈いつか家族に打ち明けたい。逃げずに手渡したい。口も心も閉ざしていた日々のこと、誠心誠意、同人誌、夫婦の性、私小説。これまでに放った自分の言葉の球が一気に跳ね返ってくるに違いない。
 すべてを知ったあとでも私と家族のままでいてくれるだろうか〉(前掲「クイック・ジャパン」vol.130)

 本を読んだ人ならわかる通り、『夫のちんぽが入らない』という作品は、夫婦の性的な問題、仕事に関する挫折、病、子どもができなかったこと、親に対する複雑な思い、といったものを正直に書き綴ることで、主人公=作者が、知らず知らずのうちに抱え込んでいた思い込みや偏見を捨て去り、多様な生き方を肯定することができるようになるという物語だった。

 執筆の過程で得た、固定観念を打破し、色々な価値観を受け入れる力は、彼女の人生を確実に前に押し進めつつある。

「Orphans」にせよ、「SPA!」連載エッセイ「こだまの不協和音家族」にせよ、彼女の文章は自分の周囲で起こったことを一歩引いた目線で観察し、そこで芽生えた自分の感情をこれまた第三者的な視点で表現するところにおもしろみがある。「ライターとしての仕事がバレる」という危機を彼女はどんな筆致で書き続けていくのか。ただ、たとえバレたとしても、エッセイから受ける印象で見る限り、夫は案外あっさり執筆業のことを受け入れてくれそうな気がするのだけれど、どうだろうか。
(新田 樹)