『言の葉の庭』が今晩、地上波初放送。
テレビ朝日、3月3日の深夜3:25から。
AbemaTVでは3月4日午後2:00からと深夜1:00から、『雲のむこう、約束の場所』と合わせて配信される。
新海誠がこだわり続ける「フェチ」と「2人の世界」が、ゴリゴリに詰め込まれた作品だ。


身体のフェティシズム


高校一年生の少年・秋月孝雄は、雨の日に一時間目をさぼって、庭園で靴のデザインをするのが好きだった。
ある日、庭園で雨宿りしている女性に出会う。朝っぱらからビールを飲み、チョコレートを食べている、不思議な人。
梅雨に入り、いつしか雨の日の午前中は常に会うようになる。彼女のことを何もわからないまま。

新海誠は、フェチをどこかに盛り込みたいと、しばしば語っている。
『君の名は。』だと、高校生と小学生の巫女少女の口噛み酒のシーン。
あまつさえそれを少年が飲む。無自覚な性行為だ。

『言の葉の庭』の、大人の女性の足を男子高校生が測る場面。
最初の親指に触れる時にビクッとなる瞬間。
足の指の関節が弱く曲がる様子。
柔らかな土踏まずを軽く握って測る。
立ち上がってノートに足を乗せ、型を取る。
それ以上のことをしないから、かえってなまめかしい。

かなり遠回しな身体的接触。
直接的にならないのが、新海誠独特の、人間同士の距離感覚。
これが「インパクトのある隠喩」として、後の展開に深くつながっていくのも、新海誠作品らしい。

背景と光のフェティシズム


新海誠が偏執的なまでにこだわっている、背景美術。
『言の葉の庭』では新宿のビルひとつひとつ、木々一本ずつまで、綿密に描かれている。

「リアル」っぽいのだが、よく見ると実写の色味と全然違う。特に光の強弱表現が、かなり強め。
現実よりも「現実の印象」に近い色にこだわり続けた結果だ。

緑と青がものすごく多く使われている。
植物と水(雨)だ。
緑色は幾重にも重ねて塗り、葉の一枚一枚に光を厚くかぶせる。
さらにカメラ深度にあわせて、こまめに輪郭ともどもぼかす。
すると物体よりも、光の方が目に入りやすくなる。

こうして産まれた自然光を、逆光気味のキャラクターに乗せる。
孝雄たちにかかる影は、緑色や青になる。
雨の強さで、色味が変わる。
輪郭線は、草と雨の光の反射で、背景より明るい色になる。

「僕の作品はアニメーションだからこそ表現できることを描いていると思ってます。現実の世界を物語の舞台にしているのも、決して現実を描きたいからではなく、そうすることで実写でそのまま撮る以上の大きな力をもって受け取ってもらえると思うから。」
新海誠監督インタビュー 「万葉集」と“雨”の歌から生まれた、「これは雨宿りの映画」

「あなたとわたし」の物語


新海誠作品は、ほとんどが「キミとボク」「あなたとわたし」の物語。
中でも『言の葉の庭』は、かなりはっきりと「恋」と「寂しさ」を描いている。
万葉集にある「孤悲」と書く、人が持つ孤独さだ。
「鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」
作中で出て来る短歌の意味は、そのまま2人の雨宿りのシーンにかかる。

「言い訳」の映画だ。
雨宿り、という言い訳があるから一緒にいられる。
一休みできる。お互い踏み込みすぎずに、済む。

このあたりの表現は、超前向きな『君の名は。』の瀧&三葉とは、かなり違う。
もっとも孝雄の性格は、新海誠作品の中でもタフな方。
ウジウジ描写がすこぶる得意な新海誠。『言の葉の庭』では、ちゃんと折り合いをつけるように、言い訳の雨宿りから一歩踏み出すように、キャラのケツを叩いている。

なお、『君の名は。』を見た人がこの映画を見ると、ある重大なことに気づくはずなので探してみよう(一応直接のつながりはないらしいが)。


コミカライズ版は、映画の持つジトーっとした空気をうまく再現しながら、お姉さんと少年の関係の色気が濃密になっている。
一部モノローグが入り、ラストは映画とちょっと違うことで、うまく相互補完されている。

Abemaで今夜同時に放映される2004年作品『雲のむこう、約束の場所』は、00年代の「セカイ系」を新海誠が強く意識した作品。『雲のむこう〜』→『言の葉の庭』→『君の名は。』で、キャラの精神のポジティブな変化がはっきり見える。
同時に、「2人の物語を描きたい」という軸のブレなさもわかるので、再来週放送の『秒速5センチメートル』と(あと『クロスロード』も是非)、比較してみるのをオススメします。

(たまごまご)