間もなく東日本大震災から6年がたつ。震災の傷は癒えつつあるが、福島第一原発事故で今なお約9万人の避難者が帰宅できない。他の地域に移った子供は「放射能いじめ」にあうという。最近マスコミはその報道に熱心だが、6年前に彼らがどういう報道をしたか、覚えているだろうか。

『AERA』は2011年3月28日号の「放射能がくる」という全ページ特集で「首都圏が放射能で壊滅する」と報道し、朝日新聞の「プロメテウスの罠」という長期連載では「原発事故で鼻血が出た」という類の放射能デマを執拗に繰り返した。この6年は、日本人がいかにマスコミの「空気」に弱いかを示した。

「原発の運転資格」を否定する朝日新聞

 朝日新聞3月2日の社説は「東電と原発 運転する資格があるか」と題して、東京電力の柏崎刈羽原発で重要施設の耐震性不足が明らかになった問題について「不都合な情報を軽んじたり、対応が遅れたりする会社に、原発を運転する資格はない」と断じている。

 原発に「運転資格」があるのだろうか。電力事業者には資格が必要だが、東電はそれを満たしている。これは原子力規制委員会の安全審査をめぐって東電の報告に不備があったという話で、運転とは関係ない。もちろん朝日新聞に資格認定する権限はない。

 福島事故のあとも、他の原発は通常通り運転していた。それを止めたのは、2011年5月の菅直人首相の浜岡原発についての「お願い」である。これには法的根拠はなかったが、その後も定期検査で止まった原発の運転を民主党政権が認めなかったため、全国の原発がほとんど止まったままだ。

 朝日新聞は「再稼働に慎重な米山隆一・新潟県知事は、東電への不信感をあらわにした」と書いているが、知事に再稼動を認可する権限はない。立地するときは、地元の県知事や市町村長の許可が必要だが、運転に許可は必要ない。

 リスクがないに越したことはないが、エネルギー源に「ゼロリスク」はなく、それを求める必要もない。原発の代わりに石炭火力を燃やすと大気汚染や気候変動のリスクが大きく、再生可能エネルギーのリスクもゼロではない。国際機関が一致して示すように、発電量あたりの健康被害は原発が最小なのだ。

地元感情のために8兆円かける「廃炉」

 しかしゼロリスクを求める「空気」に、役所も東電も従わざるをえない。福島第一原発の「廃炉資金」積み立てを東京電力に義務づける、原子力損害賠償・廃炉等支援機構法の改正案が2月7日、閣議決定されたが、これは原発の中に残っているデブリ(溶けた核燃料)を2020年代に取り出す費用8兆円を積み立てろというものだ。

 デブリは圧力容器の下の空間に黒い塊のようになってこびりついているが、格納容器の中には封じ込められている。原子炉は冷温停止状態にあるので、放射線は依然として強いが暴走する危険はなく、今はほぼ安定した状態である。

 デブリを無害化するもっと簡単な方法は、そのままチェルノブイリ原発のように原子炉をコンクリートでおおう石棺で封じ込めることだ。チェルノブイリの石棺は、高さ約100メートルのアーチ型のシェルターで、コストは21億5000万ユーロ(約2600億円)。8兆円かかる福島の「廃炉」とは桁違いだ。

 こんな簡単な答が出せないのは、「地元感情」に配慮しているからだ。昨年、支援機構が廃炉作業の「戦略プラン」で石棺に言及したところ、福島県の内堀雅雄知事が経済産業省に「大きなショックを受けた。元の生活を取り戻そうとしている住民にあきらめろというのか」と抗議した。

 支援機構の山名元・理事長は、これに対して石棺プランを否定して「引き続きデブリの取り出しをめざす」と釈明したが、知事の抗議は政治的スタンドプレーである。デブリの除去はきわめて危険であり、取り出しても原発のまわりに住民は住めない。除去はいずれ挫折し、石棺にせざるをえないだろう。

不安を煽って敵をつくるポピュリズム

 朝日新聞はトランプ大統領を「ポピュリズム」と批判するが、不安を煽って分かりやすい敵をつくるのはポピュリズムの「世界標準」である。ヒトラーが大恐慌に沈む労働者の不安を煽ってユダヤ人を敵に仕立てたのも、トランプが白人の不安を煽ってメキシコ人を敵に仕立てたのも同じだ。

 その点で朝日新聞は戦時中から続く、ポピュリズムの老舗である。今も懲りずにゼロリスクの不安を煽って「原子力村」を敵に仕立てている。こういう社論に疑問をもつ記者もいるが、彼らは紙面でそれを書くことができない。書いたら本社にいられなくなるからだ。

 山本七平は、こういう「空気」を公害反対運動に見た。1967年に公害基本法ができたとき、その目的に「経済の健全な発展との調和を図る」という規定があったのをマスコミが「公害防止に経済との調和を考えるのはおかしい」と攻撃したため、この条文は削除された。

 これによって公害を減らすにはどんなコストをかけてもよいという「空気」が生まれた。公害は「絶対悪」であり、環境保護は「絶対善」なので、コストが合理的かどうかは考えないで、リスクがゼロになるまで税金を投入する。その費用対効果を疑う者は「非国民」として指弾を浴びる。

 戦時中に「非国民」を攻撃した最大の犯人も、朝日新聞だったことは偶然ではない。1931年に約150万部だった朝日新聞の発行部数は、満州事変以降の戦争で従軍記者が送ってくる記事で爆発的に伸び、1942年には370万部を超えた。この最大の原因は戦意昂揚ではなく、「うちの息子の部隊はどうなっているのか」と気遣う親の不安だった。

 2010年9月に出版された朝日新聞著『原子力ルネサンス 温暖化対策、高まる機運』は「地球温暖化対策の決め手として原子力が注目され、原子力産業は成長産業になった」と謳い上げたが、3・11のあと朝日は急旋回して「原発ゼロ」の論陣を張った。

 このビジネスモデルは、紙の新聞の購読者に合わせたものだ。団塊の世代は子供のころ「平和憲法」を教え込まれ、学生のころ学生運動を見て反権力的な気分が抜けないからだ。彼らは今70歳ぐらいなので、このビジネスはあと10年ぐらいもつかもしれないが、それ以上はもたないだろう。

 しかし朝日新聞が日本人の心に刻みつけた不安のトラウマは消えない。東京都の小池百合子知事が豊洲市場にゼロリスクを求め、石原慎太郎元知事を敵に仕立てるポピュリズムにも、同じ手法が応用されている。朝日が消えても、不安のポピュリズムは再生産されるだろう。

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筆者:池田 信夫