法廷に、被告人の「職場仲間」は誰一人来ない

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■裁判長「職業は?」被告「無職です」。なぜ、必ず無職か?

裁判では、初公判の最初に被告人の氏名、現住所、本籍を尋ね、本人確認を行う。そのときもうひとつ訊かれるのが職業。多くの場合、以下のようなやり取りになる。

裁判長「職業はなんですか」
被告人「コンピューター関係の仕事をしていました」
裁判長「今現在は?」
被告人「……無職です」

そう、たいていは無職なのだ。例外は自営業くらい。会社員だと答える被告人は極端に少ない。

裁判長「職業はなんですか」
被告人「流通関係です」
裁判長「それは事件発生時ですよね。いまもそうなのですか」
被告人「あ、無職、です」

被告人がよく言い間違えるのは会社を離れたばかりで無職の実感がないからだろう。わざわざ裁判長が念押しする必然性は不明だが、それを聞くたびに、事件が元でクビ(懲戒免職)になったんだなと思う。犯行を認めている場合はもちろん、否認している場合でも圧倒的に無職が多いのだ。

疑わしきは罰せずという言葉がある。推定無罪という言葉もある。けれど現実には、疑わしければ辞めてもらう“推定有罪”を会社は好むようだ。犯罪者、もしくはその可能性が高い社員を雇っていては社名に傷がつき、信用が落ちるという理屈だろうか。

判決が出るまでクビを切らない会社もあるとは思うが、事件を起こしたら、有能でも功績があっても即座に首を切られると考えていたほうがいい。

■グレーでも会社の方針は“推定有罪”……同僚との絆は切れる

会社にとって大切なのは社の成長。生き延びるためにはリストラだろうとクビ切りだろうと平気でやる。現役社員として法廷に立たれると、マスコミが報道して世間が騒ぎ立て、株価が下落するかもしれない。会社にとってリスクとなる被告人には、すみやかに辞めてもらうのが一番なのである。

被告人が冤罪を主張する事件で多いのは痴漢。被害者の勘違いだとわかり、無罪判決が下されることもある。社員を信じるなら、逮捕されただけでクビにはしないはずだがそうはなっていない。仮に疑いが晴れ、会社に戻れたとしても居心地は最悪。事件前の雰囲気に戻るまでには、かなりの日数を要するに違いない。

このことは、ひとつの事実を表している。あなたは会社にとって唯一無二の存在ではないということだ。

あなたが思うほど、会社はあなたのことを大切に考えてはいない。長年勤めていれば自然に愛着も抱くだろうが、代わりはいくらでもいるし、そうでなければ困る。どんなに会社を愛しても、それは片想いに終わると覚悟したほうがいい。

いざとなれば会社が社員に冷たいことなど常識。日頃から過度な期待をせず、適切な距離感で接しているという読者もいるだろう。

では、同僚はどうだろうか。法人たる会社は社員を駒のように扱うけれども、同僚とは人と人としての付き合いをしていると思ってはいないだろうか。

同期や同じ部署で働く社員とは個人的な付き合いもしやすく、結婚式に呼んだり呼ばれたりの親しい関係を築くことができる。家族を除けば、もっとも長い時間をともに過ごす関係には、同僚という堅苦しい言い方より、“職場の仲間”がしっくりくる感じだ。

しかし、“職場の仲間”はあくまで職場あっての人間関係。リタイアし、会社の肩書きがなくなった途端に人間関係が切れてしまうのはよく聞く話である。やがてはあなたもそうなる。真の友人となれる同僚はほんの一握りしかいない。

自分はまだ若い。人間関係も大切にしている。同じ職場でなくなっても絆は切れない。そう信じている人へは裁判の傍聴をおすすめする。

■冤罪でも、法廷に「職場仲間」は一人も来ない

30代前半の会社員(現在は無職)が事件を起こす。たとえば万引きだとしよう。初犯だし、出来心による犯行なので、しっかり反省すれば十分更生できそうだ。被告人は潔く罪を認め、被害者への弁償もした。執行猶予がつくのは確実とみられる。ただし、勤務先は懲戒免職となってしまった。

初公判の日。小さな事件とはいえ当事者にとっては人生の大ピンチだけに、罪の意識と将来への不安で心細くなっていることは容易に想像できる。

いまこそ家族や友人の支えが必要な場面。会社ではバリバリ働き、弁護人によれば人望もあったとされる被告人を応援するため、元同僚たちは法廷にきているだろうか。

情状証人として被告人をかばうのは家族や親類、婚約者、学生時代の友人、小さな会社の社長などがいたが、同僚の姿は一度も見たことがない。また、筆者が見てきた限り、被告人の身内や事件関係者を除く一般傍聴人は、ノート片手の法学部生、傍聴マニア、裁判所見学にきた人、傍聴デートをするカップルが大半だ。

同僚の姿がないのは、犯罪者と関わりたくないからだと思う。

結婚式ならさほど親しくなくても出席するが、すでに仲間でなくなった元同僚に有給休暇を取ってまで果たす義理はないのだ。きっとあなたも、よっぽどのことがなければ犯罪者になった元同僚の裁判を傍聴しようとはしないだろう。

例外は事故を起こしたタクシードライバーで、同僚たちが傍聴席を埋めているケースが多く、仲間意識の強さをうかがわせる。あとは、そのスジの人と警察関係。これは被告人が余計なことを言わないようプレッシャーをかける意味もありそうだが……。

いざとなれば会社は従業員を切り捨て、仲間でなくなった途端に同僚は冷たくなる。それがサラリーマン社会の掟だとしたら、あなたは自分の会社愛を見直すべきである。長年にわたって居心地良く働くには愛情を持って接することが大切だが、見返りを期待してはならないのだ。

とくに注意すべきは同僚との関係。労苦をともにしたり、同期や同学年といったつながりもあったりして、仕事仲間という事実を忘れ、強い絆で結ばれた関係だと思い込みやすい。

が、それが錯覚だということは、社会人になって知り合った同僚のうち、いまは別の道を歩む元同僚の何人と付き合いがあるか考えればわかるだろう。

もし、会社以外の人間関係が乏しいようなら、趣味でつながる友人、学友、地元の仲間など、仕事抜きでつきあえる人間関係を作っておくのが急務。あなたがどこで働こうと、どこに住もうと、揺らぐことのない居場所は一生の宝だ。

そう、求められるがままにサービス残業し、「頼りになるね」とホメられて喜んでる場合ではないのである。

(コラムニスト 北尾トロ=文)