最初は神妙な面持ちではじまった会見だったが、最後は“舌好調”に。ラモス節を炸裂させた。(C)SOCCER DIGEST

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 元日本代表MFのラモス瑠偉氏(60歳)が3月2日、昨年末に発症した右中(うちゅう)大脳動脈・脳梗塞からの退院、復帰会見を行なった。「みんなありがとう。嬉しいよ。この通り元気です。一曲歌おうか?」と、軽快なラモス節ではじまった。
 
 とはいえ、発症時の恐怖を語るラモス氏はいつもとは大違い。一昨年に結婚した俊子夫人が第一発見者で、「朝7時前くらい、身体が突然痙攣して立ち上がれなくなった」と振り返る。「奥さんに言われたのは就寝時に3回、ものすごい音のいびきがあったと。でも、俺は正直なにも覚えていない」と続けて、病院で目を覚ましたときに「脳梗塞と言われてほんとにビビリました」と神妙な表情で話した。再発したらかなり危険な状態になることを知らされ、「私にしては珍しくネガティブなことばかり考えた」とうなだれた。
 
 車椅子で2日間、すぐに歩行器で歩き始めたことが良かったと語るラモス氏は、「死ぬのは怖くなかったけど、2度と妻や子どもに会えないことを考えると辛かった」と、何度も号泣する場面があった。
 
 入院していた病院から「専門の施設に転院したほうがいい」と勧められ、1月24日からリハビリを開始。「はじめはバンザイすら自力でできなかった。足も曲げることができなかった。治らないのかなとも思った」と言う。土日以外は1日3時間近く、再起に向けて猛烈なリハビリに取り組み、驚異的な早さで、2月14日に退院した。
 
 そして2月27日のMRI検査の結果は「60歳の身体ではありませんと言われた。異常なし!」と胸を張った。国内の航空機の移動も問題ないとされたが、大事をとって心臓の動きを観察するため、左胸の下に「心臓モニター」を埋め込み、モニタリングを行なっているという。
 
「こんなに規則正しい生活をしているのは生まれて初めてだ」と笑わせ、「(脳梗塞が)最悪になるまで1ミリ、2ミリ直前で血栓が止まっていたそうです。でも運が良かったと言わないでほしい。人間は与えられた試練を持っているんです。そして乗り越えられない試練を与えない。それが神様です。みなさんの応援がなかったらここまで来れなかった。一生忘れない」とした。
 
 今年で来日40周年のラモス氏は「またピッチに立ちたい。監督もやりたい。日本サッカーに関わりたい。今度は自分が骨をうずめようと思っている東京で五輪がある。俺はほんとうにしあわせな男だ。80歳までは日本代表にむかって吠えるで〜」と締めくくった。
 
 リハビリ最中のグッドニュースは「清武(弘嗣)のセレッソと、(中村)俊輔のジュビロ移籍だった。さすが名波(浩)監督だと思った。携帯も見られない状況だったから。カズも50歳になって頑張っている。開幕戦に俺が行ったら、俺のほうが目立ってしまうでしょ? あの日の主役はカズ。ほんとうはカズには最後の国立競技場で引退してほしかったんです。あと日本のサッカーを守ってほしいのは甲府の土屋(征夫)くん、熊本の巻(誠一郎)くん。彼らにも頑張ってほしい」と話して、「スペインの柴崎(岳)ももっと成長して日本の10番になってもらいたい」とエールを贈った。
 
 ラモス氏は今年1月からJFLのFC今治のチームアドバイザーに就任しており、この日の復帰会見前には同クラブの岡田武史オーナー(日本サッカー協会副会長)と対面し、「岡田監督の下で現役やりたい」と話したことを激白。「不可能なことではない、10分ぐらいは出たい。アシストして点を取ってやる。(今治の)背番号10は空いているの?」と、最後は現役復帰への意気込みを語るなど、サービストーク満載の復帰会見だった。