トランプ大統領の安全保障担当補佐官が、ロシアとの融和を図ろうとしたフリン元CIA長官からマクマスター陸軍中将に代わった。

 マクマスター陸軍中将は、アメリカ軍や安全保障関係連邦議員などの“伝統的ロシア観”(ロシア軍は基本的にアメリカならびにその同盟国にとって脅威であり、仮想敵の1つであるとする立場)に立脚した人物である。

 そのマクマスター陸軍中将が安全保障担当補佐官に就いたことで、トランプ大統領による対ロシア政策全体において、少なくとも米ロが軍事的に協調的なパートナーとしての関係に向かっていくという方向性は消え去ったとみてよい。

海軍に引き続き陸軍も戦力増強の動き

 この動きに対応するように、ロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣は「2017年中に、西部国境地帯と南東部国境地帯に3個師団の兵力を展開させる。我々は千島列島の防衛にも鋭意努力しており、千島列島にも1個師団を今年中に配備する」と明言した。

千島列島の位置(出所:内閣府)


 要するに、ウクライナ問題を巡ってロシアとの軍事的緊張が高まっているNATO諸国との国境地帯、ならびにウクライナとの国境地帯を防備するロシア地上軍の戦力を増強すると共に、千島列島に展開する地上戦力も大幅に増強するというわけだ。

 現在ロシア軍は、国後島と択捉島に「第18機関銃砲兵師団」を分散して配備している。この第18機関銃砲兵師団は、師団編成から旅団編成を基本単位とするロシア陸軍改革後も残存した数少ない師団であるが、旧式装備を主体とした二線級部隊と言われている。その旧式の第18機関銃砲兵師団に加えて近代的な1個師団を千島列島に配置する可能性は、まず考えられる。

 もしくは、旧式師団を精強な師団に置き換える、そして国後島と択捉島の戦力を強化する、他の千島列島へも陸上部隊を配備する、という可能性も考えられるが、ショイグ国防大臣は詳細を明らかにしていない。

 いずれにしても、北方領土を含む千島列島のロシア陸上戦力が強化されることは間違いない。安倍・プーチン会談直前に公表された、ロシア海軍極東艦隊が強力な地対艦ミサイルを国後島と択捉島へ配備した動きに引き続き、千島列島防衛強化の具体的動きが進みつつある。

(参考・関連記事:「北海道の危機、ロシアが北方領土にミサイル配備」)

ロシアが千島列島を死守しなければならない理由

 こうした一連のロシア軍による千島列島防衛戦力強化の動きは、安倍政権の「不退転の決意でもって北方領土問題を解決する」という外交姿勢に対する軍事的牽制という意味合いもあるのであろう。だが、軍事戦略的に考えると、アメリカ軍に備えての動きであると理解すべきである。

 日本は口先だけで北方領土の返還を言い立ててはいるものの、ロシアにとって100%軍事的には脅威とはならない。何も今さらロシア軍が日本を相手に防衛戦力を強化する理由は存在しない。

ロシア太平洋艦隊所属の戦略原潜


 ところが、現在においても、ハワイを本拠地にするアメリカ海軍太平洋艦隊の攻撃原潜が、カムチャツカ半島沖から千島列島沖の北西太平洋をパトロールしているわけであるから、米露関係が悪化した場合には、アメリカ太平洋艦隊の攻撃原潜や水上戦闘艦が千島列島線を突破してオホーツク海に侵入してくるかもしれない。アメリカ海軍をオホーツク海に接近させないためには、千島列島線を軍事的にコントロールしておかねばならないのである。

 そもそもロシアがオホーツク海を軍事的に重要視しているのは、オホーツク海がロシアの核戦略にとっては「海洋要塞」とも言われている最重要海域だからだ。

 ロシアはアメリカとの恐怖の核均衡を保つために、戦略原潜(核弾頭搭載弾道ミサイルを積載した原子力潜水艦)をオホーツク海に潜航させ、万一の事態に備えている。したがって、アメリカ海軍がオホーツク海に侵入してくる事態だけは何としてでも阻止しなければ、ロシアの国防戦略が根底から狂ってしまうのだ。

 さらに、近い将来に実用化が期待されている北極海航路でロシアが主導権を握るためにも、千島列島周辺海域での軍事的優勢を確固たるものとしておく必要がある。そのためには、国後島と択捉島だけでなく千島列島全域への地対艦ミサイルの配備を急ぎ、ミサイル部隊防衛のための陸上戦力も強化する必要が生じる。そこで飛び出してきたのが、千島列島への一個師団展開発言というわけだ。

オホーツク海はロシアの核戦略にとって最重要海域だ


日本政府の「北方領土返還」は言葉遊びなのか

 このような軍事的背景がある以上、プーチン大統領が、(少なくとも米ロ間に核均衡抑止状態が存在し、かつ日米同盟が継続している)現在の安全保障環境ではロシアの国防という観点から北方領土を日本に返還することはあり得ない、と語ったのは、ごくごく当然のことと言える。

 このような状況下で、いくら日本政府がロシア政府に対して北方領土の返還を要求したとしても、ロシアの安全保障環境や内政事情、それに国際常識などから判断すると、外交交渉“だけ”で(すなわち、強力な軍事力のバックアップなしに)北方領土が日本に戻ってくることなど不可能であることは明らかである。

(歴史的経験によれば、武力によって国土を奪われてしまった場合、武力によって奪い返す、あるいは宗主国の武力によって奪い返してもらうしか方法はなく、現在もそれが国際常識である。「武力によって」というのは、戦争に訴えることだけを意味しているわけではない。相手を圧倒する、あるいはいかなる攻撃をも跳ね返すだけの強力な軍事力を手にすることにより、外交交渉をコントロールすることも意味する。)

 にもかかわらず、国民に対してあたかも「粘り強く外交交渉を続ければ、やがては北方領土も沖縄のように日本に返還される」という期待を抱かせるように振る舞う日本政府の姿勢は、まさに「北方領土返還という標語をダシに使って言葉遊びをしている」との批判を免れない。

 安倍・プーチン会談と前後して、ロシア海軍は国後島と択捉島に強力な地対艦ミサイル部隊を配備し、ロシア陸軍は千島列島に1個師団を増強配備させる動きを見せている。

 日本側が「外交交渉だけ」という姿勢を維持している限り、北方領土が日本の手に戻ることは99%以上あり得ない。日本政府はその事実を国民に説明するべきである。同時に、「奪われた領土を取り戻すにはどうすれば良いのか?」に関しても具体的方策を国民に提示し、口先だけではない覚悟(もちろん、あればの話だが)を示さなければならない。

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筆者:北村 淳