青山恵昭さん(手前左)=読者提供

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(基隆 1日 中央社)二・二八事件で死亡した日本人、青山恵先さんの遺族らは事件から70年となった2月28日、恵先さんがかつて暮らした集落があった基隆市和平島(旧社寮島)の福徳宮を参拝に訪れた。恵先さんの息子の恵昭さんは、父親を見に来たと話し、亡き父をしのんだ。

恵昭さんは昨年2月、中華民国政府からの委託で同事件の処理を担当する「二二八事件記念基金会」に対して賠償を求める訴訟で勝訴。この日、判決結果について「良心的な判決。とても感謝しています」と述べた。また、ほかにも3人の日本人犠牲者の遺族が賠償を求めていることに触れ、請求が順調に認められるよう支持を呼び掛けた。

台北高等行政法院(裁判所)の判決書によると、恵先さんは日本統治時代の1933年から社寮島の沖縄人集落で暮らし、漁業で生計を立てていた。1942年に結婚し、翌年恵昭さんが生まれて間もなく、恵先さんは日本軍による徴兵でベトナムに派遣された。日本の敗戦後、一旦鹿児島の親戚の家に戻ったものの、妻子の所在が分からなかった恵先さんは1947年2月、台湾籍の船舶で基隆に向かい、着岸したところを軍に襲われた。その後連行され、社寮島の千畳敷一帯で殺害されたとみられている。

(王朝ギョク/編集:名切千絵)