「ダラダラな会議」が創造性を高める

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■5時間くらいかけてダラダラ会議する

ダラダラと長い会議はムダだ――ってよく言いますよね。もちろん、会議の内容によっては短くサクッと終わらせるのがいいと思います。お互いの顔を合わせたい重要事項の共有や、分担の確認、方針や合意をまとめる作業などは、あらかじめゴールも見えているわけであって、ひとつ30分くらいで集中して終わらせてしまうのがいいんでしょう。こういうのをダラダラやるのは確かによくないと思います。

でも、仕事やいろいろな活動の中には、なかなかゴールの見えない、サクッとは決められない問題やテーマもたくさんあります。行き詰まってくると、役割分担や方針確認を繰り返しても根本が解決しません。最近、そういうものがどんどん増えているような気がします。

すると、「ちょっと長めに2時間くらい時間をとって会議しよう」ってなることが多いみたいです。テレビの特番も映画もだいたい2時間。僕たちは「長め」という枠をつくるときに、2時間という区切りが好きみたいです。

しかし、ゴールの見えにくい難しいテーマについて2時間くらいでダラダラ会議するというのは、すごく中途半端で会議としては最悪です。お互いの言い訳やらなんやら、能書きを丁寧に説明していたらあっという間にタイムアップです。2時間もかけたのに、何も決まらなかった。これもまたストレスです。僕たち現代人の多くは常に成果とその生産性に追われています。そして、そんなテーマや問題には、ますます扱いたくない嫌なイメージがついてしまいます。ダルい。

僕たち人間は、いろいろ非合理的で、難しいテーマやややこしい問題にぶつかっているときほど、「言い訳」も「能書き」も十分に垂れ流す必要があるんだと思います。じゃないと、前に進めない。

だから、2時間程度で終わらなければいいんです。こういうものは、ひとつ5時間くらいかけて思いっきりロングにダラダラやったほうがいい。

■ダレてきてからが充実する

あたり前ですが、ダラダラしていると、ダレてきます。2時間くらいまでは、シャキッとできますが。今までいろいろと試してみた結果、3時間くらいから、「ダレ」によって会議がおもしろくなっていったことがよくありました。

大学の講義でも、実験的に、時間の終わりを決めないダラダラなセッションをやってみました。人間のコミュニケーションにおける「信頼づくり」というテーマで、特に正解や結論のない抽象的な議論を延々としてもらいました。正解はなくても、新しい発見や提案はできます。

膨大な時間を設定するために、宿泊施設での合宿にしました。夜7時頃から始めて、途中で寝てもいいし、抜け出してもいいし、徹夜してもいい。そんなファジーな設定で実践してみてわかったことは、やはり2時間を超えたあたりからその場にいろいろと変化や発展が起きてくるということです。

初めのうちは、それぞれの立場や役割、期待イメージに引っ張られて、場は硬直します。発言力のある人や年上の人、話好きな人がとりあえずしゃべり続けます。これだけで2時間は経ちます。ここで終わったら、なんだかなぁって感じです。まとめるのが好きな人が、なんとなくまとめた感じにしたりして。

ここで終わらずに続けていると、しゃべる人もしゃべり尽くします。「他に何かない?」と周りの人にも意見を求めざるをえなくなります。ここまでくると、「遠慮」というものもあんまり機能しません。発言権がバラまかれる感じです。あるいは、じっくりと考えてまとめてから意見発言したい人もいて、口をひらきだします。発言にかかる時間は人それぞれです。テーマによっては、それが短ければいいってものでもありません。

そして、「遠慮」から解放されていろいろな言葉が飛び交うと、中には誰かの感情を刺激するようなものがポッと出てきます。それは、誰かをイラっとさせることかもしれないし、すごく共感させることかもしれません。いずれにしても、それをきっかけに、ムキになったり、ハイテンションになったりして「型」が崩れてきます。

加えて、3時間も4時間もすれば、自然と休憩をはさむことになって、買い物に席を立つメンバーや、そのままテーブルに残って「ちょっと非公式な感じ」で議論を続ける人もいたりします。そこに抜けたメンバーが戻ってきて、「どんな話してたの?」と聞いた時に、脱線してたつもりの話をまとめようとすることで、新しい発見が生まれたりもします。

■生産性よりも創造性

もちろん、ただ時間が長ければいいと言うわけではありません。夜通しの会議なんて、頻繁に設定できるわけではないし、ほかにやることだってたくさんあるわけです。
 
ただ、2時間程度の時間設定における問題は、やはり「終わり」を意識してしまい、逆算的な成果や効率を強く意識してしまうということだと思います。何かに気づいても、結論に結びつきそうじゃない発言は控えようとしてしまいます。

重要なのは、「時間に区切られている」という感覚を忘れることです。本当の意味で「エンドレス」などということは不可能だけれども、「何時に終わる」と決めずに、「いつ終わってもいい」くらいの解放的な状況が必要です。

それが、「生産性の高い」ことなのかどうかは分かりません。少なくとも、「生産性」を考える上で時間の概念は外せません。しかしそれは、一定の時間ごとにある程度のたしかな生産が見込めるような作業工程に入っている場合の話です。そもそも、何が生産されるべきなのか、それすれも模索しないといけない「創造の過程」においては、議論における予想外の変化や広がり、その場の深まりが大切です。生産性は、その後決まったことを愚直にやるときに発揮するものです。

会社や社会活動の中には、普段は棚上げしてしまっているややこしい問題もたくさんあると思います。本当は、じっくり話し合ってなんとかしたいけど、1時間やそこらの会議では何回やっても進まない。いつの間にか「魔物化」していきます。こういうものはもはや「解決」しようとするものではなく、それをきっかけに何か別の新しいものをつくりだすきっかけにするほうがよいのかもしれません。そして、終わりと着地を意識しない会議(というよりも「場」)を設けてみることで、意外な発展や創造につながることもあるんだと思います。

すべての会議をダラダラにすればいいわけではありません。そこは、使い分けだと思います。ものすごく効率的にしたものと、とことん解放的なもの。これをうまく共存させていくことができたら、会社も学校もまだまだ面白くなっていくんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか?

(若新雄純=文)