27歳にして数々の映画を手掛けてきたグザヴィエ・ドラン
 - (C) Shayne Laverdiere, Sons of Manual

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 映画『わたしはロランス』『Mommy/マミー』など、若くしてその才能を発揮してきたグザヴィエ・ドランがインタビューに応じ、第69回カンヌ国際映画際でグランプリを受賞した『たかが世界の終わり』に込めた想いなどを語った。

 「若き美しき天才」と称され、映画界にその名をとどろかせている27歳のドラン。そんな彼の新作『たかが世界の終わり』は、ジャン=リュック・ラガルスの戯曲を原作に、自らの死が迫っていることを告げるため、12年ぶりに帰郷した作家ルイとその家族の1日を描いた物語だ。久しぶりの家族の再会は心安らぐものではなく、お互いが距離をつかめずにぎこちないまま、怒涛のクライマックスを迎える。

 長きにわたるルイの不在が、家族に大きなわだかまりを残していたことは、彼らのぎこちなさから明白だが、なぜルイが12年前に家を出たのかについては語られることはない。ドランは「“こういうわけで家を出た、何年前に家を出た”といったことをルイの口で語る必要性を感じませんでした。映画が始まると彼はこう言う。“人生には振り返ることなく去ることを促す出来事がある。同様に、多くの事が戻らざるをえない状況を作り出す”。 僕にはそれで十分だったけど、きっともう少し具体的な内容を知りたいと思う人もいるかもしれない。でもそれはストーリーにはあまり重要ではないと思いました」と言い切る。「重要なのは、ある午後、この家族が一緒に時を過ごし、一つの空間でそれがどう展開するのか。誰かが耳を傾けていて、誰かは上の空、誰が誰を見ていて、誰が誰を守ろうとしているか。これは人生そのもの。これはお互いに驚くほど無関心で、お互いの愛し方を知らない人たちの人生の中で、瞬きのような、とても限られた一幕。なので、物事を説明する必要はないと。観客のみなさんに判断を委ねているんです」。その言葉通り、クローズアップで映し出される登場人物たちの表情から、観客も彼らの心の内を探ることになる。

 「僕のちょっとした考えなのですが、自分の居場所と感じられない環境で育った人は、人とつながる自信が持てないように思います。それで、ルイを演じるギャスパー(・ウリエル)に伝えたのは、『この役はありがたく思われないし、映画が始まると多くの人はこの役を忌み嫌うだろう。“意見の衝突があったとはいえ、12年もの間、家族を放ったらかしにできるものか、どうしてそんなに長く家を離れたんだ?”と考えながら』」と続けるドラン。「でも映画の終わる頃までには、観客は“彼は一言も話さなかった”と気づく。ルイの言葉に耳を傾け、向き合ったのは兄の妻カトリーヌただ一人。彼が振り返ることなく去った理由はそこにあるのかもしれない」と自分なりの解釈をほのめかす。

 また、これまで“母と息子”の葛藤をたびたび描いてきたドランだが、今作は“家族”とより大きなくくりでの人間関係を俯瞰的に切り取っており、ドランにとっての過渡期となっていることをうかがわせる。「今回の作品で母と息子の関係についての視点を保ちつつ、より大きな視点を持てることは刺激的だった。兄弟姉妹の間の緊張関係とかね。物語のいわゆるスペクトルを拡大することができてうれしかったよ」と自らも満足げ。それでもドランが描くのは、非現実的な幸せばかりの愛ではなく、重苦しいほどに現実的な愛だ。「将来のことは誰にもわからないとはいえ、僕は映画の中に愛を見出します。必ずです。僕の人生のほとんどは、たったひとつの、本物の、“相互愛”であると思っているからです」とクリエイティビティの源を明かしていた。(編集部・石神恵美子)

映画『たかが世界の終わり』は新宿武蔵野館ほか全国順次公開中