金正恩夫妻とモランボン楽団

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マレーシア警察がクアラルンプール国際空港で殺害された金正恩党委員長の異母兄・金正男(キム・ジョンナム)氏の遺体から、化学兵器として用いられる神経剤VXを検出したことで、「事件の背後には北朝鮮当局がいる」との見方が強まっている。

だが、この事件の基本的な構図――誰が、誰を殺したか――は、法的な意味ではいまだに定まっていない。VXが検出されたことで、心臓発作のような病死ではなく、殺人が行われたことはハッキリしつつある。実行犯が、ベトナム国籍とインドネシア国籍の女容疑者たちであることも、どうやら間違いないようだ。

では、殺されたのは誰なのか。私たちは、様々な情報の集積により、それが正男氏であることを知っている。しかし、捜査と法的処理に責任を持つマレーシア当局は、遺体の身元を公式に確認するのに必要な指紋や歯形がないため、「被害者は金正男氏である」と言い切れずにいるのだ。

仮に、「遺体は旅券の名義人であるキム・チョルである」と言い張る北朝鮮当局の言い分が通るようなことになれば、公式に記録される事件の構図は、我々に見えているのとはまるで違うものになってしまうかもしれないのだ。

そのため、マカオにいる正男氏の息子、キム・ハンソル氏ら遺族がいつ、どのようにDNAサンプルをマレーシア当局に提供するかに注目が集まっている。現地報道を中心とするメディアの論調を見ていると、それが比較的容易に実現しそうな印象を受けるが、果たしてそれは正しい理解なのだろうか。

ハンソル氏らの家族がどのような資格で中国に滞在しているかは詳らかではないが、彼らの所持している旅券は、まず間違いなく北朝鮮のものだろう。北朝鮮には人権の概念すらろくに存在せず、権力者が国民に対してやりたい放題なのは今さら言及するまでもないことだ。

(参考記事:脱北女性、北朝鮮軍隊内の性的暴力を暴露「人権侵害と気づかない」

北朝鮮当局にとって、ありもしない理由をねつ造してハンソル氏らの旅券を無効化するなど、造作もないことなのだ。旅券返納命令を出せば、中国にいることも、マレーシアなど外国にいくこともできなくなる。

では、北朝鮮が今すぐにそれをやらないのは何故か。旅券を無効にされ、帰国命令が出されたら、ハンソル氏らがすぐにどこかの国へ亡命してしまうのは明らかだからだ。北朝鮮には恐らく、旅券の無効化以外にも打つ手があるのだろう。例えば、北朝鮮国内にいる正男氏の妻の親類縁者などを人質に取り、マレーシア当局に協力しないよう遺族に圧力をかけるのである。

そんなことが想定される事情を知ってか知らずか、一部の海外メディアの注目がハンソル氏の妹・ソリ氏に集まっている。韓国のTV朝鮮がマカオ在住の韓国人からの情報として伝えたところでは、現地のインターナショナル・スクールの高校3年に在学中のソリ氏は現在18歳で、母親に似た美人であるという。

ただ、ソリ氏は兄のように広く顔を知られた存在ではない。それで英紙テレグラフなどが、マレーシア当局にとって兄よりも警護が容易に見える彼女が、遺体の身元確認のため現地入りするのではないか、と報じたのだ。

しかし当人たちにとっては、ことはそう単純なものではないのだと筆者は予想する。また、正男氏にはほかにも妻子がいるとされ、北朝鮮がそちらに圧力をかけて協力を強いるなら、ハンソル氏やソリ氏の行動が無駄になる可能性もある。

世が世なら、北朝鮮の特権階級としての人生を送れたはずの彼らも、今は深い苦悩の中にあるはずなのだ。